たった、ひとこと

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  第三章・騎士の苦悩と神子の変化―1  

「神子がお戻りになられました!」
 ルイとカイトが元来た道を戻り部屋に姿を現すと、予想より早い帰還だったせいもあるだろうが人は疎らだった。
 ルイがきょろきょろと見回してみても、アイラの姿はない。恐らく修行の為席を外していたのだろう。
 神官達はただ頭垂れているだけで、驚いてこちらに駆け寄ってきたのはラトナと地の神子の二人だけだった。
「随分と早いな! 大丈夫だったのか……おっと、姫さんが持ってるのは確かにダイヤモンドだ」
「お帰りなさいませ、光りの神子様」
 やったな、と微笑んでくれるラトナに、柔らかい笑みで祝福してくれるラン。素直にルイは微笑みを返したが、ルイが探していたのは別の人物だ。
(うう、アイラさん、いない……っ! 相談、したいのに……っ)

 ルイの心の中はせっかくダイヤモンドを手にしたというのに、落ち着かずいっぱいいっぱいの状態だった。
 カイトとの口付け。されたのだとわかった初めのうちは、どうしたことか落ち着いていたというのに……あの部屋を出てからというもの、ルイの脳裏にちらちらと浮かぶのは柔らかく暖かいあの感触。
 それは自分を助ける為、魔力を流し込む為だと頭で理解しているはずなのに、落ち着かない。アイラに相談したい、助けてほしいという気持ちだけが焦って視線を泳がせる。
「……姫さん? どうした? 何かあったのか?」
 ルイの様子がおかしいと気づいたのは、正面にいるラトナだった。怪訝そうに屈んでルイに視線を合わせると、ルイが瞬時に顔を赤く染め上げ、ぱっと一歩下がると胸の前で手を組んだ。
 その拍子に、掴むものを失ったカイトの腕が所在無さげに揺れ、落ちる。ルイと手を繋いでいたのだ。あの部屋から、ずっと。
「……騎士団長様、仲がよろしいよーで。見せ付けたいのか、おい」
「……そんなつもりではありませんよ」
 ゆっくりとカイトとラトナの視線から逃げるように後ずさり視線を泳がせるルイを見ながら、カイトは苦笑交じりに答えると、すぐにラトナに今後の予定の変更を話し始めた。
 と、神子の帰還を告げられた光の騎士とアイラが姿を見せる。漸く、ルイはほっとした笑顔を浮かべた。


 その日は夜遅く、神殿に一泊となったが翌日すぐに地の長の屋敷へと戻る事になった。
 夜のうちにルイは渡されていた魔法の基礎が書かれている本に隅々まで目を通す。いくらアイラが寝ましょうと声をかけても、首を振るばかりだ。
「ルイ様、どうされましたの? 何かお話があるとお伺いしておりましたのに、やっぱりいいです、の後からずっと口を閉ざされて。何がありましたの?」
「う……いい、んです。よくなりました、ごめんなさい」
「ルイ様ってば。そんな顔の隅々にまで困ってます、と書いてありますのに」
「え、そんな顔してますか」
「ええ、そんな顔してます」
 腰に手をあて、少し頬を膨らませたアイラにルイは眉尻を下げ、情けない表情で「あ」や「う」など頼りない言葉を続けた。
「ダイヤモンドを手に入れる試練がそんなにルイ様を困らせるものでしたの? それともカイト様が無体をなさったとか」
 アイラとしてはそちらの可能性は低いだろうと思いつつなんとなく口にした言葉に、ルイは肩を震わせて過敏に反応した。もちろん、見逃すアイラではない。
「え、まさか、え、カイト様が、ルイ様にあんなことやそんなことを!?」
「ええ!? ち、違います! 魔力注ぐのに、キスされて、どうしようかと……」
「はぁ!? き、キス!? カイト様が!?」
 ぽんぽんとアイラにつられて吐き出してしまったルイに、アイラは今度こそ目を見開いた。ルイははっとなって口を押さえるが、もう遅い。
 アイラはしばらく驚きで目を見開いていたが、すぐににやりと笑みを零し、それで? とルイに近寄った。
「ルイ様は、嫌で困っていらっしゃいますの?」
「え! 違います」
「まぁ!」
 ルイの言葉にアイラは感激のため息を吐き、漸くですのね、と呟いて頬に手を当て、わくわくとルイの前に椅子を引っ張りだし座り込んだ。
 様子は完全に恋バナに花を咲かせようとする年相応の少女のものであり、しかしそういった事を経験したことの無いルイはアイラの様子に首を傾げつつ、染まった頬に手を添えた。
「それでルイ様、告白はどちらからされましたの?」
 わくわくと尋ねるアイラに、ルイは告白、と繰り返した後、ゆっくりとアイラに視線を合わせて首を傾げた。
 まるで何のことかわからないといった様子で、しばらくアイラの瞳を見つめた後、まさにそういった。
「告白って、何をですか?」
「……え? 何って……ルイ様の気持ちですわ」
「気持ち? ええっと……」
「カイト様と想いを通い合わせたのではありませんの?」
「へ、……ええ!? まさか!」
 ルイは慌てて首を振った。まさかと焦る様子のルイに、アイラはがっくりと肩を落とし違いましたの? とルイを覗き込む。
「ち、違うんです。私そんなつもりじゃないし、カイトさんは、魔力を私にくれただけで……」
「それでも、まさかカイト様が女性にく……口付けをされるなんて、それこそルイ様を想えばこそかと……」
「違いますよ、だってカイトさんちゃんとする前に我慢して下さいねって……私が普通に魔力を分けるだけじゃ駄目なくらい、多分消耗していたんです。それでその……カイトさんが口移しで魔力を分けてくれて、でもそのやっぱり申し訳なくて……だって、何度考えてもキス、だし……」
「そ、それはそうですわ。ですから……」
「だ、だから私、どうしようかと思って。カイトさん普通にしようとしてくれてるのに、申し訳ないやら恥ずかしいやらで顔、見れないんです。どうしよう、アイラさん。カイトさん助けてくれたのに避けちゃうなんて私……」
「で、ですから……はぁ。……カイト様の意気地無し」
 アイラはしばし説得しようと意気込んだが、それはじぶんのするところではないと諦め、がっくりと項垂れた。ぽそりと最後にカイトについた悪態は、ルイには聞こえておらず聞き返される。
「……なんでもありませんわ。ええと、ルイ様。気にする必要はございませんわ。カイト様は、自業自得です」
「ええ? でもカイトさんは助けてくれて……」
「いいんです。あんなへた……いえ、そんな中途半端なことなさる方が悪いですわ。ルイ様しばらく無視でもしてやればいいんですよ」
「あ、アイラさん?」
 少し怒った様子のアイラに、ルイは訳がわからず、と言った様子でアイラを見つめている。

 アイラはこっそりと、この方もどうしてこんなに鈍いのやら、とため息を吐いた。



 一方、ルイたちが休む隣室に控えていたのはカイトとデュオだ。
 デュオが何か言いたそうにカイトを見つめているのに対し、カイトは視線を合わせずどこか苦い顔をしている。
「で、カイト。おまえ、神子に何したんだよ。明らかに避けられてただろ」
「……何でもありません」
 これが、ここ数十分の会話の内容だ。
「いい加減にしろって、おまえ、あの神子があんな態度取るの、絶対なんかあるだろ。しかも、大幅の信頼を寄せているおまえに対して、だ。おまえが何かやらかしたに、十万ベル」
「……高額賭け過ぎだ、デュオ。……はぁ。そんなの払うつもり、無いからな」
「やっぱ何かしたんだな。吐くのが遅い。そしてとっとと俺をすっきりさせろ」
 ぽんと庶民の家が建つような金額を賭け、さあさあと詰め寄り自分の前に椅子を運んだ親友に対して、カイトはため息を吐いた。
「……神子の試練が」
「ああ」
「また、過酷で。ルイさんがあまりにも魔力を消費しすぎ、立つ事すら叶わない程で」
「そりゃまた、神子の試練は随分過激だな。戦闘があったとは聞いたが……俺達は祈るだけなのにな。で?」
 そこで試練の内容にでも気が向いてくれればいいものを、先を促すデュオにカイトはもう一度ため息を吐いた。
「魔力を分け与える呪文じゃ、足りなかったんだ。それで」
「……おまえまさか、直接送り込んだのか?」
「……、ああ」
 頷いたカイトに、デュオは唖然とした後片手で頭を抱えた。
「ばっかだなー」
「煩いな」
「どうせ気持ちも伝えずやったんだろ」
「……、どういうわけか、抑えられなかったんだよ。俺だって別に……」
「神子様が可愛すぎて? ならとっとと告白しろ、告白。言う前に手出してどうする」
「手を出したって……! 俺は魔力を、」
「やましい気持ちがあるからんな悩んだ顔してるんだろ? ったく、おまえ何歳だよ、落ち着けって」
 すっかり友同士の会話となり砕けたカイトに、デュオは呆れたように椅子に背を預ける。ばつが悪そうに目も閉じたカイトは、これだけ言ってもまだ悩むところがあるのか口も閉ざしたままだ。
「あーあ、恋人でもない男に魔力を分ける為だとはいえキスされて、神子は混乱してるだろーなぁ。魔力を分ける為だもんなぁ?」
 同じことを二度繰り返したデュオに、カイトは不審そうに漸く視線を合わせた。
 そこでにやりと笑うデュオに、対しカイトは眉を顰める。
「何が言いたい?」
「別におまえが嫌で拒否してるわけじゃないだろ、神子は。キスした理由言ってやればいいだろ?」
「だから魔力を、」
「それだけだから混乱してるんだろ? 神子の事だ。カイトさんにキスさせちゃったどうしようーなんて悩んでるんじゃないのか?」
「……俺は、得しただけだと思うんだけど」
 はぁ、とため息をつき、片目を覆うように頭を支えたカイトに、デュオは少しだけ寂しそうな顔をした。
「……なぁカイト、おまえの『立場』じゃ難しいかもしれないけどさ」
「…………難しい、だろ。つまり彼女に神子だけではない重圧を押し付けるって事だ」
「神子の気持ちは、神子に聞け。決め付けるなよ、彼女はまだ何も知らないんだ。……王妃はあんな状態だし、王女はライトさんと婚約した。そうだろ? 言い方は悪いが、おまえにとっていい方向に向いてる筈だ」
 なだめるように言い募るデュオから、カイトは視線を外し何度目かわからないため息を吐いた。
 しばらく俯いていたが、ゆるゆると視線を上げるとデュオに頼りない笑顔を見せる。
「彼女に好意があるのは認めます。とっくに自覚してますよ。それが抑えられないのもね。彼女は頼りなく見えるが強い……でもひどく不安定だ。まるで、張り切った弦のように。彼女を『うち』のごたごたに巻き込みたくはないんですよ」
「……それを理由に振られるのが嫌なだけなら、知らないぞ。彼女がシャルにとられてもな」
「そっちのほうが、幸せかもしれませんね、彼女が望むなら」
 いつもの敬語に戻ってしまったカイトに、これ以上は説得は無理かと諦めたデュオは仕方なくベッドに身を投げた。
「わかってるくせに……先延ばしにするなよ」
「……わかってます。でも、もう少し……せめて彼女が不安定な原因を、もう少し掴むまでは……言えません。気持ちも、もちろん、『うちのことも』。抑えられていない事なんて、私が一番わかっています」
 この会話にどんな意味があるのか、光りの神子であるルイにとってどれほど大切な会話だったのか。隣室にいるルイはそんな会話がされていたことすら知りもしないのだった。



 翌日、ごとごとと揺られる馬車の中で、アイラとひたすら念じながら結界の修行をしていたルイだったが、ダイヤモンドの能力の違いに驚き続けていた。
 もともと神子はそういう存在である、と聞かされてはいたが、今まで修行を重ねてなんとか魔法を使っていた状態だったというのに、ダイヤモンドの威力は凄まじい。あっという間に、並みの騎士より魔法力はぐんと上がってしまった。
 足りないのは、むしろ経験だけとも言える。そしてそれを補う程の魔力。ダイヤモンドの属性である守護の術にかけては、今までの何倍も強固で範囲の広いものをかけられた。それを使えるのが神子という存在で、自分達なのだと横にいる地の神子ランに何度言われても、ルイは納得しがたい状態に少しだけ身が震えた。
 しかし、万能ではないようで、神子の力を使った後は酷く体力が削られた。ラン曰く、毎日力を使い果たすまで魔力を行使し、回復させるを繰り返して自分の中の魔力容量(キャパシティー)を少しでも大きくする事と、具現する魔力の方法……つまり魔法の種類を増やすことが今後の修行内容になるだろう、との事だ。
 馬車の中でああでもないこうでもないと魔力を行使したルイは、長の家に到着する頃にはぐったりとし、避けていたカイトに抱きかかえられて長の屋敷へと戻る事になる。
 合いそうになる視線を逸らし、おろおろと俯くルイにカイトは苦笑してその身体を愛しそうに腕に抱える。後ろからそれを見ていたアイラとデュオがため息をつく程の光景でありながら、空気が甘いものへと代わらないのが、二人の目には痛々しい。
「重症ですわね」
「カイトが今一歩踏み出さないからな。ったく、あのへたれめ」
「まぁ、言い切りましたわね、すっきりしましたけど……でもまぁ、仕方ないのかもしれませんわ。ルイ様は、たぶん……王妃の存在を知らないほうが幸せです」
「いずれ聞くのは確かにわかってるんだがな。……なぜ王女も王妃も、神子に姿を見せないのか」
 ルイは神子。光の街、王都を守る唯一選ばれた、世界にとって大切な存在。王自らその神子に声をかけているというのに、王妃と王女に挨拶する機会すら与えられない事にルイが疑問を感じないのは、彼女がまだ神子という存在がこの世界にとってどのようなものか理解していないからだろ。
 王と並び世界に必要な存在。何よりも守られる、そして世界を守る存在。
 ルイがその事を理解する頃には、大きな波乱がある時なのかもしれない。




 水の街へは、王都に戻らず続けて訪問する事が長の屋敷を訪れたルイたちに告げられた。王都の王から、許可する書状が届いたらしい。
 水の神子が街へ戻る四日後にあわせて移動となるようで、ルイはそれまでの三日間をひたすらに修行に当てた。
 朝から昼にかけて全力で魔力を使い、昼から少しの休憩を本を読んで過ごし、夕方からまた魔力が途切れるまで魔法を使い続け、夕食をとって就寝と、ルイ自らが望んだその三日間の修行でもともとほっそりとしていた彼女はさらにやつれたように見える。
 心配したカイトがその手を止めた三日目の夜、ふらついたルイはどっさりとそのままカイトの腕の中で倒れ、意識を失った。
「随分追い込んでるな、神子様は」
「デュオ」
 現れた親友に声をかけて、カイトは視線を腕の中に落とす。
 血色の悪い肌、荒い息。苦しそうにしている彼女の細い指先は、カイトの胸元をぐっと掴んでいる。
「わかりやすいと思うんだけどな、神子の行動」
「は?」
「いや。それでさ、明日の隊列についてなんだが」
 明日の出発、地の町へ王都から旅立った時とは隊列が変わり、光りの騎士と護衛の為地の騎士が同行し、神子二人を守りながら水の街へ出発する事になる。
 何しろここに来るまでに高位の闇の民との戦闘でぼろぼろになっていた為、厳重な警護になる。
 また、水の神子とルイは馬車での移動となり、今度は一番騎士であるカイトが何かあった場合に戦闘に加わる事が大前提として今日の昼の会議では決定していた。
「俺ら二番騎士以下がおまえの足元にも及ばないのが原因なのはわかってる……が、ルイ様はできればまたおまえと同じ馬上での移動のほうがいいと思うんだが」
「それは今日の会議で決定しているだろう? 変えるつもりは……」
「そもそも水の神子だってラトナが連れて行けばいい。馬車はやっぱりどうかんがえても狙われやすいだろ、時間がかかりすぎる。せっかく地の町から直接水の町へ移動だってのに、意味がない」
「だが、テルスとアクアルの間の道は殆ど両町の長の力が届いていて、結界から出るのは馬車でもほんの数時間の間だと地の長も……」
「その地の長から嫌な情報が入った。二日前から、町の周囲に闇の民が姿を見せなくなったらしい。あれほど結界の外は危険だってのに、騎士達が巡回してもまったく、それこそねずみの一匹も闇の者の存在がない」
「……何?」
「これは、ルイ様がこの町に向かったときもあった現象だそうだ。つまり」
「またこちらの情報が闇の者に流れているという事か」
「ああ、情報が漏れてる。俺達が結界を出たところを、また上位の闇の民に狙われる可能性が高い」
 デュオの苦々しい言葉に、カイトが眉を寄せた。
 カイトの視線の先ではルイが穏やかな息になり、すやすやと寝息を立てている。目を開く様子はない。
「どうせ狙われるなら馬車でもいいのかもしれないが……目の届くところにいたほうがいいと思うんだが、どうだ。神子がダイヤモンドを手にした今、おまえがこの前心配していた神子の力の暴発はないと思うんだが。それに……なぜ情報が流れているのか、気になる」
「……間者がいる可能性……? いや、まさか。一般市民ならまだしも、神から与えられた本物の石を持った騎士や上層部には闇の民は乗り移れない」
「そうだ。この状況は明らかにおかしい。ディーネ様もルイ様も、おまえらの腕の中にいるほうが安全じゃないか? 結界の外は。なんたって一番信頼できるからな」
「……ラトナのところにいきます」
 さっと歩き出したカイトに、デュオは従い共に歩きだした。
 神子に与えられた部屋を通りすぎラトナの部屋に向かったカイトに、デュオは首を傾げる。
「神子、連れて行くのか?」
「ええ、今魔力を分けるまじないをかけていますから。このまま眠っていても構いませんが、明日体力が落ちた状態で出発するのはまずいですからね」
「……キスでもしてやれば?」
 からかったデュオに、カイトはにっこりと綺麗な笑顔を浮かべて次の瞬間数メートル後方に彼を吹き飛ばした。


「おはようございます、ルイ様」
 翌朝目覚めたルイは、ふわりと笑顔でアイラに挨拶され、挨拶を返しながらも首を傾げた。
「……あれ? 私……」
「ルイ様、昨日は修行場で倒れたそうですわ。カイト様が運んでくださいました。あまり無理されないでくださいね?」
「……えっ」
 慌てて記憶を辿ったルイは、自分がカイトに修行を止められたところで記憶を失っていることに気づき顔を青くした。
「は、運ばれたって……」
「はい、カイトさまにお姫様抱っこで」
 にっこりと笑うアイラの笑みは、明らかに何かを含んでいた。瞬時に青い顔を赤くしたルイは、その両頬を手の平で隠す。
「わわ、私の馬鹿ーーーっ!」
「無理なさるからです。ついでに、カイト様が魔力を分け与えてくださったようですよ」
「え!! ど、どうやっ……っ」
 言いかけながらルイは慌てて身を起こし、そのまま体勢を崩してベッドから転がり落ちた。
 どさどさとベッド脇の本が倒れ、アイラが覗き込んだ先で本につぶされながらも真っ赤なルイが両手足を投げ出しひっくり返っている。
「る、ルイ様!?」
「アイラ!? ルイさん、何が……え?」
 物音に驚いた隣室のカイトがばんと扉を開け部屋に飛び込み、アイラに手を伸ばされ助け起こされたルイと視線が絡む。
 ルイは起きたばかりで、寝ている間にアイラに薄着に着替えさせられたらしく、薄い夜着を着ていた。ただ、アイラ一人ではワンピースを被せるのが精一杯だったようで、手足を露出している。
 そのせいで落ちてきた本で腕に少しばかり怪我をしていたのだが、カイトはその曝け出され際どいところまでめくれあがったワンピース状の寝巻きから伸びた真っ白な細い足に視線を移動し、固まった。
 カイトの視線を追ったルイは自分の足に視線を落とし、しばらくの沈黙。
「あ、あの、ルイさ、」
「ひゃーーーーー!?」
 ばっと立ち上がって裾を直したルイは、ベッドのシーツを手繰り寄せて身体に巻きつけ、涙目でカイトを僅かに睨んだ。
「カイトさん、出てって下さいぃ!」
 パン、と魔力がはじける音とともに、カイトの姿は部屋から消える。
 ダイヤモンドを手に入れたルイの魔力は、高かった。

「……カイト、おまえ朝っぱらから何してんの」
「何でもありません……」
 デュオが顔を出した時、真っ赤な顔を手で押さえるカイトが、廊下に投げだされていた。



「隊列の変更?」
 準備を終え部屋から出たルイとアイラに、その情報が伝えられたのは水の神子ディーネと合流した時だった。
「なぜですの?」
 ディーネのぴりりとした声に、ルイはおろおろと状況を見守った。
 ディーネは地の町に何かの用事で来ていたようで、ルイは殆ど顔を合わせずじまいで、先ほど漸く穏やかに挨拶を済ませたばかり。
 突然の彼女の変化に、隊列の変更がよくない事なのだと慣れていないルイも気づき、緊張に唇を引き結ぶ。
「ただ念には念を、というだけですよ。馬車で移動する事になっていたルイさんとディーネ様、アイラには馬で移動していただく事になります」
「馬で? わたくし、馬は苦手ですのに」
「安心しろ、おまえは俺の腕の中、だ」
「……安心できませんわ。あなた手つきがいやらしいんですもの」
 ひょいと手を丸めたラトナに、ディーネは鋭い目つきで睨みつけた。
 もしやと思ってルイが視線を動かすと、にっと笑ったアイラが視界に入る。
「えっと私は……」
「すみません、また私と移動していただく事になりますね」
 苦笑したカイトにを見てルイが真っ赤になると、その様子を見ていたディーネはにこりと笑みを二人に向けた。
「あらあら、殿方はみんな狼ですものねぇ。ルイ様お気をつけ下さいな、カイト様だってその爽やかそうな笑顔で馬上の身動きできないルイ様にあんな事やそんな事をされるかもしれませんわ」
「ふぇ」
「おいおいディーネそんな事いってお姫様が拒否したらどうすんだっつーかカイト笑顔が怖いぞ」
「人の足を馬上で撫で回すようなやつの台詞は説得力ありませんわね」
「……ラトナ、君ディーネ様に何教えてるんだい?」
「待てカイト、俺が教えたわけじゃない!!」
 ぎゃぁぎゃぁと騒ぐ一行の横で、一人がおずおずと前にでて手を上げる。 
 ディーネの治療のおかげですっかり体調を戻した騎士、シャルだ。
「あの。僭越ながら、僕……私が神子様を馬上にてお守りしましょうか」
「……シャル」
 突然の申し出に、カイトはぴたりと行動を止めた。
「以前の怪我はディーネ様のおかげで完治いたしました。しかししばらくの休養で私が前線で戦う事は難しい。ただ、守護結界は衰えていない自信があります。隊長は今回戦闘が起きた場合前線に立たれると聞きました」
 つまり、後方支援になるシャルの馬上にルイがいたほうが安全ではないか、という事だ。
 その考えは当然カイトの頭にあり、そして言われたことで目を逸らしていたその言葉はカイトの中で最善の選択肢として理解はできていた。
 その選択肢を排除していた理由はただ単に、自分の腕の中にいてほしかっただけなのだ。
「……そう、ですね」
 視線を揺らがせたカイトだがしかし、ルイが困惑した表情でその様子を見ていた事には気づかなかった。
 その様子を目の前にいたシャルはしっかりと見ていたが、口を閉ざした。
「それが最善ではあると思います」
「おいカイト」
 後ろからデュオが、咎めるような声を上げる。しかしカイトは答えず、思案するように顎に手を当てて俯いた。


(わ、私シャルさんと馬に乗るの?)
 背を向けたカイトの後ろで、ルイはおろおろと様子を見守る。
 シャルが嫌だというわけではない。確かに緊張はするが、守られねば馬に乗れないルイは意見を言える立場ではないのだろう。
 だがしかし、アイラの言葉を意識するわけではないが、ルイは自分の中でカイトが特別だという意識は自覚し始めていた。それが恋や愛だというのはわからないし、一致するのかと問われれば返事はできないが、とにかくカイトの腕の中は安心するのだ。
 突然のキスで動揺し視線を合わせられないのだって、恥ずかしいのと申し訳ないので一杯なだけで、カイトを嫌っての事ではない。のにここ数日カイトと上手く会話できない事でルイは自身を責めていたし、今違う馬で進むというのはルイの不安を掻きたてた。
(で、できればカイトさんの馬がいいんだけどな……お話したいし)
 どうしようかと悩む先で、カイトは「そうですね」と肯定を意思を示し、ルイは更に動揺した。
 自分がカイト以外に守られて旅をする。まるで考えていなかった出来事に、頭が付いていかない。
 しかも自分が後方に回るシャルの馬に乗るという事は、また守られるだけの位置にいるという事だ。今度戦闘があっても、ルイは前に出られない。
 前に出る事を望んでいるわけではないが、ルイは何も出来ない思いをするつもりはなかった。
(私は……)
 自分はカイトに対しどういう思いを抱いているのだろう、とルイはカイトの背を見つめた。
 嫌いではない。傍にいたいと思う。安心する。親と疎遠だったルイは自身が始めて傍にいたいと願った人物である事は理解している。
 ただ、最近アイラがやたらと気にするような恋愛感情かどうかは、まったくわからない。
 しかし、カイトがどう思っているのかひどく不安で、カイトが今シャルの馬上に、と思案する様子を見るのが辛い。
「ルイさんは、」
「あ、あの!」
 カイトが次に口を開いたとき、ルイはたまらず声をあげていた。
 振り返ったカイトと、シャルの視線が突き刺さり、ルイは「あ」と呟いて俯く。
 何て言えば、とぐるぐると混乱する頭で考えたルイは、考えも纏まらないうちに焦って口を開いた。
「わ、私カイトさんと一緒にいたら、迷惑になりますか」
「……え?」
 驚いたような表情のカイトの視線が自分に向けられているのがわかって、ルイはますます混乱した。どうしよう、どうしようという言葉だけが頭を回り、次の言葉が出てこない。
「えっと」
「神子様は、私と一緒では不安ですか?」
「ち、違」
 混乱に加えてシャルの声で、ルイは顔を真っ赤にした。
 顔を上げたルイは、周囲の視線を全て自分が集めている事にとうとう爆発し、慌てて口を開く。
「違います、私がカイトさんといたいんです」
 言ってすぐ、あ、と口を押さえたがもう遅い。
 視界に嬉しそうなアイラとうんうんと頷くデュオが見えて自分の言ったことを頭で反芻する。
 あら、と口を押さえるディーネと、笑うラトナを見て自分が言った言葉の意味に気が付いたときには、ルイはカイトに視線が移せずおろおろとシャルを見上げた。
「……そうですか」
 シャルはそういって微笑むと、失礼致しました、と礼をとり一歩下がった。
「ま、決まりだろ? ほら、出発の準備、急ぐぞ」
 ラトナの声で周囲が動きだし、ルイは傍に寄ったカイトに手を取られた。

 視線は、合わせられなかったけれど
「ルイさん、行きましょう」
 柔らかな声は、ルイを暖かく迎え入れてくれた。
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