たった、ひとこと

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  第三章・騎士の苦悩と神子の変化―2  

 地の長、神子に挨拶を終え、以前と同じようにカイトに腕を引かれて馬に乗ったルイは緊張で唇を引き結ぶ。
 どきどきと胸の内で跳ねる心臓は、緊張の為だと唇を噛みながら、ルイの神経は全て背に触れる暖かなカイトの胸、そして自分を守るように包む腕に注がれていた。

(緊張するなぁ……)

 どきどきしながら後ろをちらりと見上げれば、優しい微笑みが向けられる。むず痒いような感情を持て余し、ルイはむぅとすこし唇を尖らせて前を向いた。
「ルイさん?」
「……カイトさんなんでそんな綺麗なんですか?」
「……はっ!?」
 再び見上げるルイの視線に、カイトは驚いて視線を合わせる。ルイの頬は少しばかり赤く染まり、唇を尖らせて上目遣いにカイトを見上げるルイに、今度はカイトが心臓を高鳴らせた。

「……ねぇデュオ様。あそこのバカップルはいつまで見つめ合ってると思います?」
「……さぁ、ほっといたら永遠じゃないか?」
 そんな会話が後ろでなされていたとは露知らず。


 旅は順調だった。
 今回は地の町と水の町が親密で行き来が多いため結界の範囲が広く、結界の外に出る時間はほんの少し。警戒はしているものの、やはり街中の馬での移動は大分楽なものとなる。
 暗くなれば予定していた宿で休息を取る事ができるし、食事も小さな食堂や飲食店で食べる事ができる。何より、地の町は緑が多く、天気のいい日は景色を楽しむ事もできた。

「この辺りで少し休憩にしましょうか」
 予定通りの行程で進み、その日は森の広がる場所で一度休息を取る。ルイはカイトに馬から下ろしてもらいアイラの所に走り寄ると、手を取った。
「では行って参りますわ」
「行って来ますカイトさん!」
 この辺りは珍しい花や可愛らしい動物が多いと聞き、ルイが休憩になったら散歩に行きたいとカイトに頼んでいたのだ。
 もちろん一人では行かせられないが、騎士達はこの後結界を抜ける数時間の隊列確認、そして休むという水の神子の警護に当たる為、ルイの護衛に抜擢されたのはめきめきと守護魔法の力を伸ばしているアイラ。

 二人はうきうきと手を繋いだまま周囲の景色に感嘆の声を漏らしながら森を散策する。
 桃色に黄色、そしてルイには少し珍しく見える淡い水色や緑の花に視線は釘付けになり、そして風にゆれるとちりんと鈴のような音がする実でルイははしゃぐ。
「すごい! いろんな植物があるんですね!」
「あ、ルイ様。あちらにいるのはラビですわ」
「ラビ?」
 ルイが視線を送った先にいたのは、桃色の毛に長い耳、ぴょこんと跳ねるそれは、毛色は珍しいもののルイの知るうさぎに似ていて、ルイは可愛いと胸の前で手を組んだ。
「うさぎさんだ!」
「うさぎ、ですか? ルイ様の世界にも?」
「似ているのが、いました。えっと、ちょっと色が違うけど」
 あんな花のような桃色のうさぎは見たことがないかもしれない、とルイは驚かせないようにしながらそっと近づく。ラビはルイをじっと見つめると、自ら近寄ってきた。
「わ、寄ってきた。可愛い!」
「神子は動物にも植物にも好かれると聞いた事がありますわ。纏う空気が違うとか」
「うさぎさん触るなんて初めて。うわぁ、可愛いなぁ、ふかふか」
 ひとしきりうさぎや花と戯れたルイは、アイラに言われて少し残念に思いながらも来た道を戻ろうと立ち上がる。その時。

「キャンキャン!」
「うわぁ! 助けてくれ!」

 突然聞こえた悲痛な叫び声に、ルイとアイラは顔を見合わせた。
 どう聞いても助けを求める男の声。そして、ぱん、と何かはじけるような音がする。
「……アイラさん」
「魔法、ですわね、この感じ」
 ひしひしとルイとアイラは先ほどまでは感じなかった空気を感じた。魔力を使う、そしてそれがはじける、まるで戦闘時のような感覚。
「ルイ様、カイト様達を呼びに戻りましょう」
「そんな、間に合わないかもしれない。カイトさん、呼びます」
 ルイはそう言うとポケットから伝達石を取り出し、ぐっと握る。そのまま手を握り締めて、音と魔力を感じる方にルイが走り出し、アイラも慌ててそれを追った。
「ルイ様! いけませんわ、何かありましたら!」
「駄目だよ! この魔力、何か暗い感じがする。攻撃を受けてる人、危ない!」
 近づく度に聞こえる魔力の音。確実に誰か魔法使いが悪意を持って使っていると、ルイはその身で感じていた。

 そして走る二人の前に、どっと音を立てて何かが落ちてきた。
 白い毛にところどころ血を滲ませて呼吸も荒く腹部を上下させる空から落ちてきた塊。
「……犬?」
「アルカライトの子供ですわ! 誰がこんな酷い事を!」
 アルカライトといわれた犬の子供はまだ小さく、弱々しく前足を動かし顔を必死に一点に向けていた。そこにいるのは
「人ですわ!」
「大丈夫ですか!?」
 同じく白い、小型の犬を抱きかかえた初老の男が足から血を流しそこにいた。
 よく見ると全身が細かい傷だらけで、腕を押さえている。
「っ、お嬢さん達ここから逃げ……っ!」

「あぁー……可愛い獲物、増えたじゃん?」

 ぞっとする声が聞こえて、ルイとアイラは傷だらけの男の横で、震えた。
 しかし瞬時に危険と理解したアイラが強力な守護壁を初老の男と自分達の周りに張り巡らす。
「あれぇー? そっちの子、魔法使えるんだ。なぁんだ……でもいつまで持つかなぁ?」
 そう言って男がにたりと笑う。まだ若く見えるその男は茶色の髪で片目が隠れ、しかし覗く片方の目はゆらゆらと揺れて焦点が定まらない。
 男が手を上げた。

「行くよぉー……ロックアタック!」
 瞬時に結界の周囲の地面が盛り上がり、鋭い刃となって結界にぶつかり始める。
「っく、」
 アイラは少し息を詰めたものの、すぐに余裕の表情を取り戻しその攻撃を難なく耐える。
 直撃していたら、確実に怪我をしていた。
 そう、怪我を。刃は全て、足や腕等を狙っている。
「何て……人ですの……っ!」
 攻撃の惨さにアイラが顔を顰めたのと同時に、男も顔を顰めた。
「何……余裕そうじゃん? おっかしいなぁ、俺の攻撃耐えるなんて、あんたそこらの魔法使いじゃないね?」
 鋭い目つきになる男に、アイラは少しだけ顔色を悪くした。ルイもそうだ。それだけの気味悪さが、男にはあった。
(カイト……さん……っ!)
 握ったままの手を、そっと背に隠してルイは祈る。
 ルイが戦って勝てる相手なのか、わからない。アイラは守護壁を張るので精一杯だ。
 相手が本気でないのは見てすぐわかる事だった。実践が初となるルイは二の足を踏んでしまう。
 そして、アイラも危険な事をルイにさせるわけには行かず、守護壁だけはカイト達が来るまで持たせようと唇を噛んだ。
 しかし早く手当てをしなければ、初老の男はまずい事になるかもしれない。出血が、ひどかった。

「もうちょっと……本気出さないと駄目かなぁ?」

 男がまた、にたりと笑う。手を振り上げたその瞬間に、背後の木がずるりと枝を伸ばした。
「なっ!」
 結界を囲むようにぐるぐると囲むと、締め出す。結界は揺らぐ事はなかったが、続けて岩の槍が無数に出現し周囲を飛び交った。
「どうしてこんな使い手が……こんな野放しに……っ!」
 アイラは青ざめた。話には聞くが、自分が世間で言う「悪の魔法使い」というものに会った事はない。
 魔法を使える者は、生まれた時から管理され教育を受ける。素質がないものでも専用の石を使えば魔法は使えるが、魔力の桁がそもそも違うのだから、徹底的に一般の人間を傷つけないように教え込まれるのだ。
 稀に現れるこうした悪い術を使う人間というのは、騎士や兵によって拘束され処罰を受ける。
 また、ルイも唇を震わせていた。この世界に来て、大切にされていたルイはこんな魔法の使い方をする人間を知らなかったのだ。
 以前王都の街で拘束されたことはあるが、あの時は魔法は使われなかった。
 自分の敵は結界の外にいる闇の民だけだと思い込んでいたのだ。

 怖いと

 助かりたいと

 ルイは願った。思い浮かぶアイラとの日々の生活や、デュオやラトナ達の顔。
 そしてカイトの優しい笑顔。

 無気力だったルイの、初めての強い生への願い。

「やるねぇおねーちゃん! でもコレはどうかなぁ?」
 男が更に攻撃を激しくした。がんがんとぶつかる岩の礫にアイラはまだ耐えている。
 アイラの守護壁は完璧だった。
 それなのに……
「ルイ様!!」
 ルイはふとあるものを見た瞬間に、自ら木の枝を避け結界を抜け出した。ひょいと身軽に体を翻すと、ずるりと追ってくる木の枝を小剣で叩き落し、ルイが向かった先には……アルカライトの、子犬。
 範囲の広がりすぎた攻撃に、少し離れた場所にいたアルカライトの子犬が、危険に晒されていたのだ。
 飛び出したルイはすぐさま子犬を抱え周囲に薄い守護壁を張ると同時に、子犬に自らの魔力を注いだ。簡単にしか知らない、弱い弱い回復魔法。
「もう大丈夫だからね」
「キュゥン」
 犬は少しだけ目を開いて、弱々しい声を上げた。
 守護壁のおかげで石の礫はルイと子犬に当たらない。

 しかし。

「おねーちゃん、自ら出てきてくれてありがとぉ」
 楽しそうな声が耳元で聞こえる。
 回復魔法を使う為に張った、石礫だけを遮っていた薄い結界。
 その守護結界をいとも簡単に破り、男がルイの胸倉を掴みあげた。
「っぁあ!」
「わぉ、超可愛いじゃん。これなら殺す前に楽しませてもらうか」
 男は下卑た薄笑いを浮かべて、ルイの顔に自らの顔を近づける。
 アイラが顔面蒼白で叫んだ。
「ルイさまぁぁあ!」
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