たった、ひとこと

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  第三章・気高き護りの町―14  


 時刻はお茶の時間を過ぎた辺り、長との対談を終えカイトと部屋へ戻っていたルイは、ただ黙って窓の外を見ていた。
 外は、雨。……ルイには久しぶりに見る雨だった。王都の、王城敷地内は特殊な結界が張っていて、雨すら通さないらしい。王城敷地内にあるフォルストレ家に世話になっているルイが雨をしばらく見ていないのも無理はなかった。
 夕暮れにはまだ早いものの、厚く覆う雲のせいで外は薄暗い。
 今の時間、アイラはまだ戻っておらず、デュオも光の騎士を纏める為に席を外していた。ルイの護衛の為についているのはカイトのみで、今日はこの部屋で共に夜を過ごすのが同性のアイラなのかまた昨日と同じくカイトなのか、もしくは外に護衛を立ててルイ一人になるのかはわからなかったが、今部屋にいるのはカイトだけで、ルイは少しだけ緊張していた。
 昨日はまったく気にしなかったのに、恋ではないかという意図を持ったアイラの言葉が頭から離れないせいでルイの緊張を煽る。
 ただ、ぼんやりと見つめる窓の外の雨と、窓を叩く雨音にどこか安心して、ルイはただじっと外を見ることに集中した。

「……ルイさん」
 名前を呼ばれて、振り向かないわけにもいかずルイはゆっくりとカイトに視線をずらした。
 相変わらずカイトは優しそうな笑みを向けてくれているのに、どうにも緊張してしまう。
「雨は、珍しいですか?」
「こっちでは、見なかったから……雨は、好きです。雪も」
「地の街は最も降雨量が多い水の街に近い。雨も頻度が高く、地の街自体は豊かな緑に囲まれているんですよ」
 こちらの町に来る時は意識を失っていたから、ルイは街の様子を外から見ていない。少し想像して、素敵な街ですね、と微笑む。
「カイトさん。外って、出たらいけませんか?」
「今日、ですか? まあ、明日は少し忙しいかもしれませんが……」
「お買い物したいなって思ったんです。それに、雨綺麗だから」
「雨が綺麗、ですか」
 そういうとカイトは読んでいた本を閉じ、テーブルに置くとルイの傍まで来て、その後ろに立った。大分身長差がある為、ルイの真後ろに立っていてもカイトは外の様子が見えるだろう。しかしルイは、緊張から少し身体を横にずらした。
「雪でしたら、水の街で見れるかもしれません。時期も丁度雪の季節ですし」
「やっぱりそのままここから移動になるんですか?」
「まだわかりません。が、恐らく」
 カイトの声は頭上から降ってくる。少し緊張したが、ルイはカイトの声が好きだった。自分に向けられる彼の声はとても優しいものだったから。
「出ますか、外」
「え、いいんですか?」
「あまり遅くなるといけませんので、少しだけですが。確か長の屋敷を出てすぐはこの街で一番賑わう商店街があった筈ですから……何が欲しいんですか?」
「……あの、武器が欲しいんです」
 ルイの言葉に、カイトは眉を寄せた。なぜ、と言葉にしようと口を開いたのに気づいて、ルイが慌てたようにカイトに向き直る。
「神子は、あまり戦闘に出ないのも、守護術が多いのも聞きました。でも、攻撃呪文を多く使う神子がいたのも、本で見ました」
「ええ、神子が前線に出て傷ついては、困ります。神子は一人なのです」
「でも……昨日みたいな時、私は……」
「今はまだ、仕方ありません。ですが、今後は神子も守護術を使い戦う事ができるんです。何も、武器を持つ必要はありません」
「持たなくてもいいって訳でもないですよね? 私は、守りたい。お役に、立ちます。いざという時もう何もできないのは嫌です」
「武器を持つという事は、どういう事かわかりますか」
 カイトの声が、少しきつくなった事に気づきルイは怯んだ。しかし、そこで初めて負けじと相手を見返した。
「私は、お役に立つ為にここで努力する事を選びました。初めて必要としてくれた人たちに応えたいんです。今は、……何もできていないのも理解していますが」
「……自分の為ではありませんか?」
「……自分の……?」
 カイトが少し悲しそうに言った言葉が、自分の言葉に繋がるのかわからず、ルイは首を傾げた。
 そして少しの逡巡の後、自分の為です、と呟く。
 必要とされたのが嬉しかったから、頑張ろうと思った……正確に言うと自分の為ではなかったのかもしれないが、ルイはそれに少なくとも救われたから、それでいいと判断して。
 対し、カイトはルイの言葉が、まるで必要ならばこの世界の為に身を滅ぼしても厭わないという意味に感じ、複雑な心境だった。そして、カイトの読みは当たっているのだろう。ここに来て最初、利用されるとわかっていても頷いて、食事が違う事すら周りに気づかせず、危険な旅も承知し、身を投げ出してシャルを止めようと飛び出したルイ。彼女はまるで、人形だった。
 ルイの心境は確かに変化しているのだろう。執着を見せなかった彼女が、昨日に続き強く意見を口にしたことは間違いない。ただ、やはり自分の欲を持っているようには見えなかった。
「……ラトナにいい武器屋を聞きましょう。ただし、ルイさん、……私はあなたがそれを使うような状況は、望みません」
 そういって離れたカイトに、ルイは少しだけ、寂しさを覚えた。


「この先……ああ、ここですね」
 そういってカイトに促されて、ルイは大きな傘の中からそっと外を覗き見た。
 ラトナに武器屋の場所を聞き、カイトと外を出る時にラトナに渡されたのは一本の傘だった。
 大きく、ルイが見知ったものとは多少形状が違うものの、木でできた傘は魔力石がはめ込まれており水を弾く。しかし、渡された一本では所謂相合傘をする形になり、ルイは先ほどの空気を背負ったままで重い足を動かす事になった。
 傘を持ち隣を歩くカイトは終始周囲を気にしながら歩いているのがわかったが、ルイと目が合うことはなかった。それでも歩調はルイにあわせてくれているとわかっていて、申し訳なさが募る。ただ雨が傘にぶつかる音だけがルイの心を落ち着かせてくれた。
「いらっしゃいませー……お、騎士様ですか」
 店に入ると現れたのは、いかにも働き盛りと言った中年の男だ。よく焼けた肌に、茶色の短い髪。カイトを見るとすぐに騎士と気づき、驚いたようにその濃い茶色の瞳を見開いて駆け寄ってきた。
「今日は、どのようなものをお探しで」
「こちらの女性が使えそうな武器をいくつか見せていただきたい。……できれば、希望は遠距離系のものを」
「カイトさん、遠距離って」
 言葉にありありと前線に立たせたくないという気持ちがにじみ出ていて、ルイは困ったように上を見上げる。カイトは少し硬い表情で、無理にとは言いませんとだけ言った。
「はい、はい。遠距離ですと、やはり弓でしょうか。しかし、お嬢さんは随分とほっそりとした腕に指……弓ではお身体に負担をかけるかもしれませんね」
 言いながら店主はうろうろと狭い店内を見て周り、いくつか武器を並べたものの、納得しない顔で首を傾げる。
「ルイさんは……腕力はあまりありませんでしたね」
 カイトも結局選ぶことで腹を括ったのか、じっと武器を真剣に見つめながらルイの腕を見た。以前移動術などで共に稽古をしていた時に、ルイの腕力のなさはカイトがしっかりと見抜いている。というより、元から無理をするとすぐ熱を出していたルイは、筋肉が殆ど無かった。
 武器を持つこともできないのかと落ち込み自分の腕を見つめたルイは、自分の考えの甘さを突きつけられた気がして少し目に涙を溜める。もちろん、零れることはなかったが。
 考えても見ればさまざまな武器は腕力がなくては殆ど使えないようなものばかりだ。人並み以下しかないルイには、厳しいものがある。
「でしたら、ご自分の身を守る程度でよければ……そうですね、石武器はいかがですか。見たところ、お嬢さんも騎士か。魔力石を持っておいでだ。魔力を使えるのでは?」
「ええ。……そうですね、身を守る……石武器を見せてもらえますか」
 店主とカイトの会話に出てくる「石武器」がわからずルイが顔を上げると、店主がすばやく何点か武器を並べ始める。
 それはどれも小ぶりで、そして必ずと言っていい程存在を大きく示す宝石がはめ込まれていた。
「カイトさん、石武器って何ですか?」
「ああ、物理的な力ではなく、魔力を使って力を発揮する武器です。もちろん能力者以外は使うことができません。ただし、能力者でも魔法と違い行動が制限される点がありますから、魔法とまでは言えない、身を守る護身用の武器、と考えて下さい。小ぶりのものが多いのも特徴です」
 カイトの説明に再び視線を武器に戻す。小刀、忍者の使う手裏剣やクナイのような物に、鞭や用途はわからないがリング状のものがいくつか重なったものなどが置いてある。
 護身用、というのは少しルイの希望とはずれているが、ルイは武器は武器、ないよりましだと思っていたのが事実なので、特に文句を言わずそれをしばらく眺め、リング状のものを指差すと店主にどう使うのかと尋ねた。
「これは捕縛武器ですね。敵に投げ、魔力を使ってそれを操り敵を縛り上げます。と言っても殺傷能力はないし拘束時間も短いので、足止め、もしくは逃げる時に使うものですね」
 その後暫く他の武器の説明も聞いたルイは、捕縛武器と言われた五連のリングと、同じ石武器の小さな剣を選び、ポーチから自分のお金を取り出して渡した。少し前にルイが始めてもらった給金だ。
「カイトさん、ありがとうございました」
 店を出てお礼を言うと、カイトはそこで漸く微笑む。
「遅くなってしまいましたね。急いで戻りましょう」


 帰りも雨の音を楽しんだルイは、腕に五連の銀のリングをつけ、腰に小剣を着け部屋に戻るとすぐ窓に張り付いた。
 ここで漸く、ランに言われた神殿の最奥についてきてもらわなければならない「大切な人」についてどうすべきかルイは考える。
 思いつくのは、誰よりもまずカイトだった。しかし、一番大切な人という言葉がなんとも恥ずかしくて、首を捻る。
 アイラに頼むべきか。それとも、やはりカイトに頼むべきか……悩んでいるルイの後ろで、食事の準備がされているのにも気づかずルイは外を眺め俯いていた。
「ルイ様、ルイ様?」
「んー……」
「ルイ様?」
「え! あ、はい! あれ、おかえりなさい、アイラさん」
「どうされましたの、ぼんやりなされて。お食事はこちらに運びましたけれど……」
「あ、あれ、すみません、気づかなかった。えっと、私だけ、ですか」
「カイト様が、ルイ様はお疲れでしょうから、と部屋に。恐れながら、私の分まで、ですが」
「一緒に食べましょう、アイラさん」

 いつものように和やかな会話を楽しみつつの、アイラとの食事はルイにとって心休まる時間となっていた。しかし、今日はどこか落ち着かない様子のルイに、アイラがいくら首を傾げて尋ねてもルイは苦笑してなんでもないというばかり。
 その日、そのまま部屋にはアイラが共に寝る事になり、ルイはどこかカイトと一緒でなくてよかったと安心する心と、やはり少し寂しい気持ちに葛藤しながら床につき、目を閉じる。
 眠気は、まったく訪れなかった。

「まぁ、ルイ様。すごい隈ですわ!?」
 朝一アイラにそんな事を言われ暖かなタオルと冷やしたタオルを交互に当てたルイは、自分以上に慌てているアイラに苦笑する。
 しかし、こんな顔でカイトに会うのは嫌だなぁとルイがため息をつくと、アイラは心配そうに悩み事があるのかと尋ねてくれた。その行動が本当に友人なのだと思わせてくれ、ルイは微笑む。
「なんでもないんです。いろいろ、緊張して」
「無理はなさらないで。やはり、同室はカイト様のほうがよかったかもしれません」
「え」
「やっぱり、安心なさいますでしょう?」
 いえ、今はちょっとある意味寝れません、とルイは思ったものの口には出さず苦笑して「アイラさんがいいです」とだけ言って話を終え、身支度を整えた。
 その日は一日明日の準備に追われる予定だった。
 朝から神殿に訪れる際に身につける服のサイズの調整だったり装飾具選びだったり、手順の説明だったりと忙しい。
 空いた時間をルイは、自分で気に入った果物を少しだけ持ってアイラとシャルの元を訪れたものだから、カイトとは夜に明日の予定の話を少ししただけで殆ど顔を合わせる事はなかった。
 しかし、その日一日を通してルイの頭を占めるのはやはり明日の同行する人間の事。
 朝、アイラも大切な大切な友人であると再確認はしていたのだが、アイラを選ぶのかと言われるとどうしてもカイトが頭から離れない。幸い誰にも、誰を連れて行くのかと急かされる事はなかったのだが、そのせいで相手も決まらずとうとうルイは当日まで持ち越してしまった。


 朝、ルイは金のラインがいくつか入った真っ白な長いローブを着せられ、大きなフードで殆ど顔を隠された。視界が危うい程なのだが、それが正装だと言われルイはしぶしぶ口を噤んだ。
 髪はサイドに纏めて前に垂らされ、ラインと同じ金の髪がきらきらと輝くが、決して華美なものではなく、どことなく高貴な雰囲気すらあるというのはアイラの言葉だ。
 普段どおりにカイトに挨拶をし、共に旅をした光の騎士、カイトとデュオ、ラトナと、地の神子であるラン、そして数人の地の騎士と共に、長の屋敷を出る。神殿は、馬車に揺られて四時間程でたどり着いた。
 カイトが言っていた通り、長の屋敷を離れて暫くすると、周囲は緑に囲まれ地の町がとても自然に囲まれた美しい街であるのが見て取れた。
 景色に夢中になったルイはもちろん神殿に到着しても奥へ連れて行く相手を決めることが出来ずにいた。というよりは、決めかねて現実逃避し、景色を見る行為に意図して意識を向けていたのだろう。
 どこかぐったりとしたようすで馬車から降りたルイに、カイトが心配したのは言うまでもない。カイトは馬車には乗らず馬で移動していた為、姿を現したルイが疲れきった顔をしていれば当然の事だった。

 神殿内に入ると、茶色のローブをつけた神官と呼ばれる人たちにルイは案内され、すぐに広めの開けた場所にたどり着いた。騎士達は同じ部屋の少し離れた所に控えた。
 ルイとラン、そして一人の神官だけが前に進み、祭壇のようなものに向かって神官が本を開き何事が唱え始めるのを、ランが膝を突き胸の前に両手を合わせたのでルイも真似てその時間を過ごす。
 神殿に入る前に聞かされた話では、これは準備に過ぎず、それこそ本番はルイと、ルイが「大切な人」のみ奥の部屋に進み何かを受けるらしい。未だ明かされない内容に、ルイは煩い心臓を押さえつけるように胸の前で手を組んで神官の言葉を聞いていた。

 実は、アイラが修行をすると聞いていたルイは、アイラがこの場にいなければ自分がカイトを選ぶのは当然の流れになるのでは、と考えたりもしたのだが、アイラは元よりルイの侍女。ここに付き添わない筈がなく、そしてアイラの修行は特に場所は関係なくできるらしい。馬車の中でも馬車に結界を張る事に集中していたようだし、修行は順調のようだ。
 つまり、そんな事を考える程ルイの心中では既に選んでいるのはカイトだったという事だ。本人は気づく事なく、ただ選ぶのが気恥ずかしくて頭を悩ませていたようなのだが、それも空しく、時は来た。
「では、光の神子様、奥へ」
 そっとランに囁かれて、おずおずと立ち上がりルイはランを仰ぎ見た。目が合った先の瞳は優しく微笑んでいる。
「お付のものは、どなたに?」
 その声に、後ろに控えていたカイトを初め騎士達、アイラが首を傾げた。奥に進むのはルイ一人だと思っていたのだろう。
 ああ、いきなりついてきて、と言われた者は、迷惑に思うだろうか、とルイが不安そうに視線を向けた先で、金の髪をさらりと揺らした青い瞳とかち合った。
「……、かいと、さん」
 どこか、うわ言のようにルイが呟いた。言った後にはっとして口元を押さえ、瞬時に俯き頬を染める。
 その様子を微笑んで見つめながら、ランはカイトを手招いた。
「この奥へ進むのは、神子ともう一人と決まっていますの。あなたが奥へ」
「そう、でしたか。わかりました」
 不思議そうな表情をすぐさま真剣なものに戻し、カイトはゆっくりと俯くルイの傍にいくとその手を取った。
 ルイがそっと顔を上げると、カイトは嬉しそうに微笑んでいた。
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