たった、ひとこと

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  第二章・契約と魔法―5  

 ルイのいる部屋の扉が閉じたのを確認して、恐らくアイラがいるであろう一階の使用人の休憩所へとカイトは足を向ける。
 アイラはフォルストレに仕えて、長い。カイトの母親、リルの親戚だ。
 ルイの侍女にしたのは、リルが一番信頼していた事と、彼女の明るい性格から。……彼女なら何か、ルイの口から聞いているかもしれないと祈り、カイトは唇を引き結んだ。

 ルイは明らかにカイトを拒んだ。それまでそんな素振りは一切見せなかったのに、今日は妙に触れる事を拒んでいた。
 常に一線を引いて、誰に対しても微笑みながら、彼女は何かを拒絶している。そのせいで今一歩、打ち解けた様子はなかったが、今日程過剰に拒絶された事はなかった。
 何か、気に障る事をしてしまったのだろうか、と考えて、ぴたりとカイトは足を止めた。
 ぞわぞわと背後から冷たいモノが迫る。その気持ち悪さに、自然と唇をかみ締め力が入る。
 とにかく、アイラに聞いてみなければ。それに、拒絶する彼女のその表情は、酷く辛そうに歪められていたように感じるから……これは、そうであってほしいという願望かもしれないが。


「アイラ」
「え? まぁ、カイト様! 戻られておりましたのね。という事は、ルイ様も。ああ、私ってば、つい明後日のルイ様とのお買い物に気を取られてリストなんて作っていたから。すぐに夕食の準備を」
「いえ、先に彼女の様子を見てもらえませんか」

 そういいながら扉から身体をずらせば、アイラは了承したように使用人の集まる部屋から抜け出し、扉を閉めて声を小さくした。
「どうかなさいましたか」
「彼女は……いえ。ここ二日位、何か変わった様子は?」
「……なかった、と思いますけれども……今はどの様なご様子ですの? まさか、また熱が」
「いえ、熱が高いといった感じでは。ああ、でも今日無理をさせてしまったかもしれませんから、この後は気をつけてください。それと、外出許可が下りたんですか?」
「あ、ええ、そう。そうなんです。まだリル様からお聞きではありませんでしたのね。明後日、カイト様と私がお供する事を条件にルイ様に街をご案内する許可が下りましたわ」

 街に行ってみたいと言っておりましたから、今度こそ喜んで頂けると思いますわ、と笑うアイラに、カイトは歯切れ悪く返事を返す。
「……どうかなさいましたか、カイト様」
「いいえ。……また、明日参りますとルイさんに伝えて下さい。街へ行ける事は、少し伏せていて下さい」
「え? ええ。もう、お寄りにはなりませんの……って、あら?」
 アイラの言葉を待たずに背を向けたカイトは、すこしぼんやりとした様子でその場を離れ、自室へと向かってしまったその背をアイラは首を傾げて見送った。


「ルイ様! 申し訳ございません、お待たせ致しましたわ」
「アイラさん」

 ベッドに腰掛けていたルイは、転がり込むように部屋に現れたアイラに苦笑する。
「そんなに急がなくても……」
「いーえ! ルイ様が戻るまでにお夕食の準備を……と思っておりましたのに、私ってば。すぐに用意いたしますから」

 ルイが何か言う前に、すでにぱたぱたと部屋を走り回る彼女に、ルイは少しだけふっと笑みをこぼした。
 手の平にはまだ、石が乗せられている。ころころと左右の手を移動する石を見ながら、ルイはぼんやりと今日の事を考えていた。

(アイラさんに聞いてみようかな。彼女さんって、どんな人なのか……とか?)
 聞いたところで、どうするというのだろうかと考えては落ち込んで、はぁとため息をつけば、準備を終えて戻ったアイラが「あら」と声を上げた。

「まぁ、ルイ様。想い石は、握らなければ意味がありませんわ」
 ふふ、と楽しそうに笑うアイラに、慌てて見てただけで……! とルイが答えてみるも、アイラは微笑んだままわかっていますわ、と続けた。
「お食事を……カイト様にお会いしたいのでしたら、お呼びしましょうか?」
「え、あ、違います……!」
 そんなつもりじゃなかったのだけれど、とポケットに石を仕舞い込み、用意された野菜中心の食事を口に運ぶ。
「ああ、そういえば、カイト様が明日も参ります、と」
「わかりました」

 会いたい、と思うのは、いけない事だろうか。そう考えんながら食事を終えたルイは、鞄から残り一粒になってしまった薬を取り出して、水で流し込んだ。



 目が覚めて、まだ夜が明けてすぐなのだろう薄暗い室内で、ルイは鞄をベッドに引き寄せる。
 元の世界から持って来た荷物は、意外に多い。いつも何があってもいい様にと荷物を持ちすぎているせいだ。
 空になった薬袋には、アイラに見せた時は首を傾げていた文字がびっしりと並んでいる。二週間分の飲み薬は、昨日の夜で空になった。
(……飲まなくても、大丈夫じゃないかな……)
 元より解熱剤は頓服の分しか持っておらず、毎食後服用していたのはただの吐き気を止める薬の他、それに似た物だけ。
 はぁ、と一つ息を吐いて空になった袋を元通り鞄に仕舞い込み、ベッドから抜け出せば、少しだけ冷やりとした空気に身震いして、すぐに昨日の内に用意された服に着替える。
 あとはいつも通り、アイラが来るまでは本を読んで過ごすだけ。そう思いながら本に手を伸ばしかけたルイは、その手を止めてベッドの上で膝を抱え込んだ。

「おはようございます、ルイ様」
「おはようございますアイラさん。今日、早いですね」
 程なくやってきたアイラに挨拶をすれば、アイラはにこりと微笑む。
「今日もカイト様と魔法の練習をなさるのでしょう? 先ほど伺った話では、イオ様も今日はご一緒だそうですよ。午前からとお聞きしましたので、早めに参りました」
 イオさん、と口に出したルイは、すぐに緑の髪の少年を思い出した。レンと同じように、訓練に付き合ってくれるのだろうか、と考えて、カイトと二人きりではなかったことにルイはほっと息を吐いた。

 朝食を終えて、日も大分高くなってきた頃に現れたカイトは、いつも通り微笑んでルイに挨拶を交わす。
 ただ、行きましょう、と声を掛けたカイトはいつものようにルイに手を伸ばす事はせず、扉を開けた。
 昨日の態度を謝罪すべきかと悩んだルイは、結局口を開けず俯く。どうしてあんな態度を取ったのか、理由を見つけられなかった。


「おはようございます、神子様!」
 訓練所に入るなり明るい声に迎えられ、ルイは少し驚いて中の人物を確認する。
「イオ、さん。おはようございます」
 少しだけ微笑めば、嬉しそうにイオが傍にやってくる。嬉々として近づいた彼はそのままにこにことルイの手を取った。
「騎士団長、今日は僕も神子様のお手伝いをさせていただけるんですよね?」
「ええ、お願いします。移動術なら、イオにお願いできるなら安心です」
「任せて下さい」

 なんとなく会話に出てきた「騎士団長」と言う言葉の意味を考えながら様子を見ていたルイの手に、イオが躊躇いなく触れひし形の石を握らせる。
「今日は僕と練習しましょう、神子様。僕は移動術は得意なんです」
 微笑む少年はそのまま部屋の中心までルイの手を引き案内すると、そのまま練習を開始する。
 カイトは部屋の壁に背を預け、その様子をただ微笑んで見守る。ただ、普段通りに見える彼の指先は、少しだけ何かに耐えるように握りこまれていた。

「お疲れ様でした、神子様、お見事です。今日はこれで一度お休みしましょう。魔法を連続使用するのは、とても疲れてしまいますから」
 かなり休憩を挟みながら練習していたのだが、夕方前にはイオはそう言ってルイの手を止めた。
 確かにルイは疲れて少し息が上がっていたが、イオはまったくその様子はない。経験が違いすぎるのだろう。
「ありがとうございます。大分コツ、掴めた気がします」
「もう浮くだけなら余裕ですもんね。さすが神子様、習得が早い」
 ルイは微笑むイオから何となく視線を外し、カイトの位置を確認すれば、朝とまったく変わらない場所で待機している。
 すぐに視線を戻したので、イオはその視線に気づく事なくルイにひし形の石……正確には、移動石と呼ばれる物を持たせた。

「早い……んでしょうか。あ、あの、イオさん」
「はい?」
「神子様……じゃなくて、ルイって呼んでもらえませんか。なんだか、自分が呼ばれてる感じがしなくて……」
「え? でもそれは」
「風の神子様っているんでしょう? 何て呼んでるんです?」
「……お名前で呼ばせていただいてます」
「なら、私も。せっかく、歳が近いのに」
 俯いてルイがそう呟けば、少し驚いたようにイオがルイの顔を覗き込んだ。
「失礼ですが、神子様はおいくつなのですか」
「私、今年十九になりました。……背、ちっちゃくてよく幼く見られますけど」
 その言葉に、イオはあっと声を上げて頭を抱えた。
 すぐに謝罪の言葉が掛けられる。
「僕もそうだと……うわ、失礼な事しちゃいました。しかも、同い年だったんですね」
「え?」
「僕も今年十九です。誕生日はまだ来ていませんが。そうか、神子様同い年だったのかぁ」
「わぁ……同い年の方に会えて、嬉しいです」
 しばらく考えるように俯いていたイオだが、顔を上げると「なら」と微笑んだ。
「ルイさんと呼ばせて頂く事にします。僕の事は好きに呼んでくださって構いませんから」
「……そういえば、レンさんはルイって呼んでくれるんですよ」
「あー、レンは絶対勘違いしてるからなぁ、僕も言えないんですけど。レンは僕らの中で一番年下で、気にしてるんですよ。まだ十八だから」
 笑って話をしてくれるイオに、ルイはほっとしてカイトを見る。
 気がついたカイトが二人に近づいて、戻りましょうかと声を掛けてくれた。

「イオさん、また」
「はい、ルイさん」
 そんな会話でも少しだけ嬉しいな、とルイは少し楽しそうに部屋を出る。
 ルイは決して、この世界で生きていくのに、前の世界のように誰かと深く関わることなく生活したいとは思っていない。ただ、周りが年上ばかりで気後れしていただけで。
 アイラはいくら頼んでも「ルイ様」と呼ぶ事をやめないし、歳が同じイオの存在にルイは仲良くなれるかな、と少しほっとして身体の力を抜いていた。

「楽しかったですか?」
「え? あ、はい。イオさん、同い年だって聞きました。ちょっと嬉しいです」
 突然の質問に、ルイは少しだけ微笑んで答える。
 そうですか、と微笑むカイトも微笑んでいたが、ルイから視線を外していた。

 部屋に戻ると、今日は既に夕食の準備をしていたアイラがお帰りなさいと出迎えてくれる。
 それでは、と背を向けたカイトが、思い出したように振り返ってルイに声をかけた。

「実は、明日なんですが」
「はい」
「魔法の練習は一旦お休みになりますが、ルイさんを街に案内することができそうなんです。私とアイラで護衛する事になりますが……イオは仕事が入っていまして」
「え、街ですか?」
 その言葉に、ひょいと下からカイトの顔を覗き込むルイに、カイトは少しだけ申し訳なさそうに微笑んで目を逸らした。
「必要な物も多いでしょうから、お買い物に、と前からアイラが上に掛け合っていたんです。いい気分転換になると思いますよ」
「わぁ、嬉しいです。でも、お金」
「あなたは騎士団所属ですから、給与は支払われますよ。それに、生活に必要な分は用意しています」
「え、でも」
「ルイ様、ここは甘えちゃってください。必要経費ですわ!」
 意気込むアイラに押されて、ルイは困ったように視線をさ迷わせた。
「……お給料で、返せるかなぁ」
「……それ程真面目にならなくても、ルイ様。貰えるものはもらっちゃいましょうよ……」
 アイラの少し呆れたような笑い声と、カイトの苦笑に、ルイは絶対返すもん、と手を握る。
 既に毎日の食事や待遇から、相当ルイが目が回りそうな金額を頭はよぎるものの。
「まぁ、気にしないで、と言っても今のルイさんは納得しないでしょうから、アイラ、少しだけ放っておきましょう」
 クスクスと笑う二人が出した結論は、そんなものだ。
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