たった、ひとこと

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  第二章・契約と魔法―4  


「まぁ、カイト様、お疲れ様です。ルイ様、カイト様がいらっしゃいましたわ」
 二日後、昼食も終えた時間、アイラに時折意味を尋ねながら本を読んでいたルイの部屋に現れた訪問者は、カイトだった。

「あ、こんにちは、カイトさん」

 外に出ることが出来た次の日は用事があるから、とカイトに会うことはなかった為に、なんとなく伝達石を手放せずに傍に置いていたルイは、時間が経つにつれてどこかで手放したくないな、と思ってしまっている事に気づいて、困っていた。
 会えない日があると、妙にカイトから貰った石を見て安心しているのは、やはり一人じゃないと最初に思わせてくれた物だからだろうか。

「こんにちは。すみませんでした、一昨日に引き続き詳しいお話もできないまま昨日もお傍にいれなくて」
「えっと……いえ、大丈夫です」
 なんとなく顔を見れずに俯いたルイの前で、カイトが少し困ったように微笑んだ。
 その様子を見ながら、アイラは私は一旦失礼します、と言って部屋を出て行ってしまう。アイラの声を聞いて「え」とルイが顔を上げたが、戸口でひらひらと手を振ってアイラは出て行ってしまった。

「一昨日はすみませんでした。傷は、痛みませんか?」
「傷って。スイレンさんがすぐに治してくれたし……大丈夫です。魔法って、すごいですね。……あ、レンさんって、やっぱり怒られちゃったんですか……?」
「レンですか? ……あそこで攻撃魔法を使用した件については。まぁ、火の民が使う魔法は攻撃系が殆どなので、使用する前に止めなければならなかったのですが」
 そうなんですか。と少し俯いて小さな声で呟くルイに、カイトは苦笑して「大丈夫ですよ」と言う。
「軽いお仕置きだけですから。三日間クォーツ隊の下級騎士の訓練に付き合って貰っているだけですし」
「訓練……そうなんだ」
 それなら大丈夫そう。そう思って顔を上げたルイの目の前にカイトが来ていて、ルイは少し驚いて後ろに下がる。
「熱、あまり高くなさそうですね。調子がよければ、ルイさんも少し魔法の訓練、してみましょうか」
「え、いいんですか!」
「もちろんです。ただ、具合が悪くなったらすぐに言う事。場所は騎士団の使用している訓練所にしましょう。おそらく、レンもいると思いますよ」

 微笑んで手を差し出すカイトの手につい手を重ねて扉に向かったルイは、頭に「彼女」の存在を思い出し慌てて手を引いた。カイトが少しだけ振り返ってルイを見たが、ルイは気まずいのか目をさ迷わせていて、気づかないまま部屋を慌てたように出る。
「訓練所って、一昨日行ったところにあるんですか?」
「え? ええ、そうですが」
「わかりました」

 ぱたぱたと小走りになるルイの後を、少し首を傾げたカイトが追う。屋敷を出る頃には追いつかれてしまったが、今度はルイは意図してカイトの少し後ろに下がり歩き出して、前を歩くカイトは少しだけ眉を顰めた。
 今日アイラに用意してもらった紺色のワンピースのポケットの中で、ルイはころりと転がる石にそっと触れる。
(……後で。後で、返すから)
 少し歩けば見えてくる大きな建物を見つめながら、ルイはまた少し小走りに、カイトを追い抜いた。


「わ、広い」
 案内された部屋は、余計な物が置かれていない広い空間。窓もなく、白い壁に茶色の床の部屋は、攻撃魔法が当たっても壊れないように魔力がかかっているらしい。
 レンがいるだろうかという期待に反して、部屋にはカイトとルイの二人だけ。レンは別の部屋にいるようだ。
「簡単な魔法から使ってみましょう。まずはこれを」
 カイトがポケットから出したのは、透明でひし形の透き通った石だ。
 なんとなく形が、好きだったドロップ缶に入っていた飴玉のようだなんて考えて指で目の高さに持ち上げると、透明の石の周囲がゆらりと揺らいで見えて、首を傾げる。
「見えました?」
「と、溶けてる?」
 まるで湯気でも出ているように見えて手の平に乗せて観察するルイに、カイトは違いますよ、と優しくルイの手に乗る石に触れる。
「揺らいで見えるのは、石が放つ魔力です。私が持つもののように加工装飾されているものは、魔力が逃げ出さないようにされているものなので見えませんから、敢えて装飾される前の石を用意しました。とは言っても、魔力を扱う事ができる能力者にしか見えませんが」
「……なんか、初めて自分でも使えるんだーって納得しました」
 くすくすと笑うカイトは、そのまま石を乗せるルイの手の平を石ごと大きな手の平で包み込むと「少しだけ我慢してくださいね」と言って目を閉じた。
 暖かい手に妙に意識が取られ慌てて離さなければと手に力を入れかけたルイは、すぐに石の持つ熱に気がついて意識をそちらに集中した。
「そうです。いいですね。そのまま身体の力を抜いてください。まるで、宙に浮いているように」
 宙を浮くって、難しい……そう思いながら、ゆっくりと身体の力を抜いたルイは、いきなり襲われた浮遊感にぎょっとした。
「わ!?」
「ルイさん!」
 まるでジェットコースターが丁度天辺から落ちている時のような不快感に、つい手を離してしまったルイを次に襲ったのは肘を打ちつける衝撃。

「い、痛……」
「っ……すみません、手を離してはいけないと最初に言うべきでした」

 近い声に、え、と目を開いたルイは次の瞬間、きゃぁと声を上げた。
 腰にカイトの腕が回されていて、カイトは思いっきり床に倒れこんでいる。少しだけ浮いた頭を支えるようにカイトは空いた手で押さえていて、恐らく床にぶつけたのだろうと想像できた。
 倒れこんだルイは、肘をしたたかに打ったものの、殆どカイトが庇っていたおかげで無事だったようだ。
 そう、カイトの身体の上に、ルイの身体が抱きこまれるような形だったのだから。
「わ、あの、すみません……っ!」
 ばっと身体を離すルイを見ながら、カイトが情けないです、と苦笑する。

「宙に浮く魔法なんですけど、手を離したら落ちるんです。すみませんでした」
「宙に浮く……うう、キモチワルイ」
 胃を押さえて何とか立ち上がるルイの顔色は少しばかり先ほどに比べると青く、伏せた瞼と長い金の睫がその緑の瞳を覆う。
「私、絶叫系苦手なんだけどな」
「絶叫系? そんなに怖くありませんよ」
 いや、十分怖いです。それよりあんなにくっついちゃってどうしよう、気をつけようって決心したばかりなのに……そう考えたところで、バタンと扉が開いた。

「お、いたいた」
「……あ、レン、さん。こんにちは」
 扉を開けたのは、若い騎士隊長、ルビー隊のレンだ。
 彼は何も言わず中に入ると、転がったままの回とに目を向ける。
「レン、何をやっているんです、訓練は……」
「何だよ、三時だし、休憩だろ? それより何寝転んでんの」
「あ、その、私が転んじゃって何というか」
「ふーん? で、何やってんの、ルイ」
 レンは扉を閉じると、楽しそうな様子でルイの傍まで来た。ルイの前に転がっているひし形の石を見て、ああ、と納得する。
「飛ぶ練習してんだ。どう、おもしれーだろ?」
「面白いというか……転んだばかりで……」
「何だ。まぁ最初はそうだって。そうだルイ、俺も手伝ってやるよ」
「レン、あなたは持ち場に戻りなさい。それに、神子を呼び捨てにしない」
「いーじゃんか。俺よりガキの神子って始めてだから何かなー。ほらルイ、手」
 つい手の平に石を乗せたレンの手に手を伸ばしながら、ルイはアイラがレンは十八歳だと言っていたのを思い出して自分の年齢を言うべきか迷う。
 横で、はぁ、とカイトがため息をついた気がしたが、再び先ほどと同じように自分より大きな、しかし先ほどとは違う手に握りこまれたルイは、今度こそ落ちないようにと石に意識を集中した。
 ふわり、と身体が浮かぶ。強烈な浮遊感に、やはり顔を歪ませる。少し視線をずらせば、床の位置が遠い。僅かだが確かに自分は浮いている。
「なんだ、出来たじゃん」
「レン、だめです。降りなさい、神子はまだ」
「きゃ!?」
 浮くだけでもいっぱいいっぱいだったルイの身体が、大きく横にずれた。レンが移動しようとしているのだと気がついて、顔を青くする。
(無理、無理無理……! 目が回るっ)
 集中できない。そう思ってすぐ再び、今度は額に強い衝撃を受けた。今度こそ、何があったかすぐに把握する。落ちたのだ。
「ルイさん! レン!」
 カイトの焦る声が横で聞こえる。恐る恐る目を開くと、やっぱり目に入るのは顔を歪めたレン。肩に手が回っているから、やはり庇われたのだろう。
「ご、ごめんなさ……っ」
「いってぇ〜っま、別にいいけど……っていうかさ」
 ゆっくりと起き上がったレンが、ルイを支えると起き上がった自分の前に座らせる。
 まじまじと一点を見つめるレンの、その視線の先が気になって、ルイが「あの」と恐る恐る口を開けば……レンは考え込むように手を顎に当てながら、とんでもない事を口にした。
「お前……ちっこいクセに、結構でかいのな、胸」
「は……?」
「レン!」
 カイトの怒鳴り声が、聞こえた……気がした次の瞬間には
「きゃー!!」
「ぎゃあ!?」
「あ」
 ルイはひし形の石をにぎり込んだまま、思いっきり魔力を使いレンを数メートル先の真っ白な壁に突き飛ばした。


「ルイさん、さすがです。今日の訓練は完璧という事で、帰りましょうか」
「……ありがとう、ございます」
 それはそれはいい笑顔のカイトに褒められたものの、ルイ自身は浮いたり飛んだりは結局できていない。相手を吹っ飛ばす事は一度だけできたものの。
 ちらりと見れば、どこか貼り付けたようないい笑みのカイトの横で、痛そうに身体を押さえるレンがふてくされたように口を尖らせている。
「レン」
「なんだよ」
「訓練講師、一週間追加です」
「げ……っ何でだよ、俺の滞在予定、十日なんだぞ! 休みなくなっちまうだろ」
「決定です」
「くそーっ何なんだよ、横暴だ! 訴えてやる!」
「なら、あなたは性的嫌がらせで訴えますよ」
 なおもわぁわぁと騒ぐレンを一方的に無視して、カイトはルイの手を取ると部屋の出口へと向かう。
 いいのかな、何て後ろを振り返りながら施設内を歩き、外へ出たところでルイは風の冷たさにはっと現状に気づき、ついぱっと手を離す。

「……ルイ、さん?」
「あ、あの、えっと、大丈夫です、道は、覚えたし……というか、すぐ隣だし……」
 そういいながらぱたぱたとカイトの横を通り過ぎたところで、不意に後ろに引かれ俯いていた視界の先に紺色の袖が見える。
「……カイトさんっ」
「ルイさん、どうしたんです? 私は何か……」
 抱きこまれ背に暖かい体温を感じる。頭の上から聞こえる声は、どこか辛そうで。
「何でも……ないです。離して下さい、帰りたい、です」
「ルイさん」
「帰りたい、です」
 すぐに回された手がゆっくりと離れ、ルイはカイトの腕の中から逃げ出すとぱたぱたと城の敷地内へと戻る。
 後ろについてはいるものの、カイトはそれ以上話しかける事はなくルイを部屋まで送り届けた。

「……アイラは、いませんね」
 部屋は薄暗く、カイトがすぐに明かりをつけたが、部屋の中には人は見当たらない。
 カイトの言葉を聞いて、ルイはぴくりと肩を震わせる。
 呼び捨てで構わない、と訴えた自分の事を「ルイさん」と呼ぶ彼は、アイラは呼び捨てだ。立場上そうなのかもしれないが、アイラの他にも彼に呼び捨てで呼ばれる人はたくさんいるのだろう。それこそ、親しげに……
(石、返さなきゃ)
 ポケットに手を入れる。これはカイトの彼女を苦しめる物だろうと、手に触れた石を……強く握る。
 ぴくり、とカイトが反応したが、ルイは気づかないまますぐにポケットから手を出すと、そのまま後ろを向いた。手には何も握られていない。
「……アイラを呼んできます。お疲れでしょうから、お休みください」
「はい。……おやすみなさい」

「酷い態度、とっちゃった」
 パタン、と扉が閉じてしまうのを見つめ、呆然と呟いたルイはもう一度ポケットに手を入れて、今度は慎重に石を取り出し手の平に乗せて、そのままその場に座り込んだ。
 
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