たった、ひとこと

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  第三章・気高き護りの町―10  

「……、街、着いたんですか……?」
 周囲のばたついた音を聞いたルイがゆっくりとカイトの肩から顔を離し、涙で濡れたカイトの肩を見てはっとなり小さくすみません、と漏らす。
「いいえ、構いませんよ。テルスの長の屋敷に到着したようですね。降りますから、少しだけ待っていてくださいね」
 するりと頭を撫でていたカイトの手がルイの頬に移動して、顎にかけてその長い指が優しく降りていく。
 涙が伝うルイの濡れた頬を撫でたカイトは「大丈夫ですから」ともう一度告げてデュオに合図し、馬車の扉を開け降りるとルイに手を伸ばした。
「さあ、ルイさん。歩けないでしょう?」
 一瞬躊躇うように後ろに下がったルイだが、足が思うように動かないのを視線でも確認した後、未だ眠るアイラをちらりと見て目を伏せ、何かを握りこんだその手ををゆっくりとカイトに伸ばす。
 カイトはその握りこんだ手を一度ちらりと視線で確認した後ルイの右腕を少し引き、その身体に手を当て馬車から細い身体を支えたままゆっくりと引いて、横抱きに自分の腕の中へ納め、デュオに降りるように告げるとしっかりと馬車の前方に身体を向けた。

 カイトがルイを支えたまま僅かに頭を下げ、はっと気づいたルイが視線を向けた先に、一人の男が現れた。白い布で頭を隠し、その布が長く肩下までを覆っている。口元も布で隠されていて見えないが、布の間から覗く彼の目は強い光を灯し、おそらく自分の父親より年は上ではないかとルイは少しだけ頭を下げた。
「……お騒がせして申し訳ありません、地の長、ナギ様」
「……よい。我が地に闇の民を侍らせた失態、なんとお詫び申し上げればよいか。光の騎士カイト・フォルストレ殿。そちらが、神子でよろしいかな」
「ええ、光の神子ルイ・アオイ様で間違いありません」
 大丈夫ですよ、と小さく声が聞こえて、ルイは緊張しつつ「すみません。……こんな体勢、で」と小さな声で謝罪し、地に足をつけようと少しだけもがく。
 ルイの意図を汲んだカイトはゆっくりとしゃがみこんでルイの足を地に着け、自身は後ろに立ち身体を支えたまま立たせてやる。
「ルイと申します。……すみませんでした。狙いは、間違いなく」
「ルイさん」
 私です、と続けたルイの言葉に被せ、カイトが少し怒ったように眉を寄せて声を荒げた。
 しかしその先で、ルイの肩に手を回していたカイトの腕にぽたりと何かが落ちる。訝しんで覗き込んだカイトの目に映ったのは自分の袖に染み込んで行く雫だった。
「……神子、あなたのせいではない。奴等が神子を、特に光の神子を狙うのは言わば当然。それを守るための騎士だ」
「でも私も、騎士団所属の筈」
「神子」
 声をかけて止めたのは、後ろから歩み寄ってきていたラトナだ。静かな声はルイの言葉を止め、その身体をぴくりと震えさせる。
「嘆く暇はない筈だぞ? ここにはそのきみの力を上げに来たんだろ。神子の意思が弱ければ、ダイヤモンドは力を授けないだろう」
「ラトナ!」
「そうだろう、カイト。そっちが地を最初に選んだって事は、そういう事だ」
 冷静な声にルイはただ目を伏せる。カイトの腕に少しだけ力が入り、ルイの身体がカイトに引き寄せられたのを見ると、ラトナは横に並び一つ大きく息を吐いた。
「一番不甲斐ないのは、俺ら騎士だな。護衛対象である人間に怪我を負わせる事態になるのはマジで不甲斐ないぜ、カイト、デュオ。ついでに、自分の町に侍らせちまった俺らダイヤモンド隊もな」
「……ああ」
 ラトナとカイトの会話に、後ろに控えていた騎士がざっと肩膝をつけ頭垂れた。デュオもアイラを抱えたまま頭を下げ、長とカイト、ラトナ、ルイの周囲に騎士達が集まっていた事にルイはその時気づく。
「ここで話すのもなんだな。神子を部屋にお通ししなさい、ラトナ。重症の騎士は既に別室に運ばれている。ラトナはそちらに向かえ」
「はっ」
「カイト殿、そちらの姫は足を痛めているようだな。部屋に案内する。お連れ頂いてよろしいか?」
「申し訳ありません、失礼いたします」
 すっと頭を一度下げたカイトが再びルイを抱え上げ、長ナギの指示で動いた騎士に続き屋敷へと足を踏み入れる。
 歩ける、ともがき、涙を耐えようと必死に唇を噛み締めるルイを、カイトはただ黙って有無を言わさず抱きかかえたまま廊下を渡った。次第に抵抗を諦めたルイはそのまま顔を隠すように俯いた。
「こちらに」
 案内をしてくれた騎士が扉を開け、部屋に入ったカイトはそのまま真っ直ぐベッドへ向かうとルイを寝かせた。
 部屋にもう一つのベッドを確認したカイトは入り口に立つ騎士に声をかけ、すぐに通りかかった別の騎士に案内されていたデュオを呼び止める。
「アイラもこちらへ。ルイさん、アイラもこちらでいいですね?」
 本来別室を用意されていたアイラを隣のベッドに寝かせるのは、恐らく心配しているであろうルイがそう言い出すと踏んだのと、カイトがその場を離れる為。
「カイトさ、私……っ」
「すみません。報告は、私が先に一度行きます。ほら、手を」
 ぐっと握り締められたままのルイの手にカイトの手が重なる。ゆっくりと開かされる手に握られている伝達石を取り上げ、それをルイの左手に移すとカイトはデュオに声をかけた。
「私が長に報告に行きます。デュオはここについていてください。それと、簡単な治癒術でいいのでルイさんの手にかけてもらえますか?」
「は? ……っ、ルイ様、手、」
「腕の傷はすぐに直してもらったんだけど、その後に……ルイさん、その石をあまり強く握っては駄目ですよ? 大丈夫、少し握るだけでも、お呼びしてもらえれば伝わります」
 驚いたデュオの視線の先では、伝達石をにぎり過ぎていた為に赤黒くなったルイの手の平。ぱっと左手でカイトの袖口を掴み、右手を隠したルイは傷はないから大丈夫だと頭を振ったのだが、心配そうに表情を変えたデュオは小さく呪文を唱えてその手に暖かな光を灯す。
「すみませ、ん」
 謝りながら、しかし伝達石を握る手で未だしっかりとカイトの袖口を握ってルイは手を離さない。それを見たデュオは視線を彷徨わせてカイトを見た。
「カイト、報告は俺が行こう。まだルイ様から離れないほうが……」
「アイラが目を覚ました時どこか痛むと言われても私は治癒術は使えませんから、デュオは二人を」
「その必要はないぞ、カイト」
「ラトナさん」
 部屋に現れたラトナに、ルイは未だ潤んでいる視線をそちらに向けた。
 ラトナは一度ひらりと手を振ると、ルイのベッドの奥に寝かされるアイラを見て眉を顰めた。
「報告。あの若い騎士、命は助かった。腕も繋がったぞ」
「え! ほ、本当ですか!?」
「シャルは助かったのか!?」
 驚きの声を上げたデュオの言葉で、ルイはカイトは大丈夫と言っていたがシャルは恐らくかなり危険な状況だったのだろうと瞬時に悟った。
 ならば、命が助かったのは本当に吉報だ。ほっと息を吐くと、微笑むラトナと目が合う。
「腕のいい治癒術士がいたんでね。ラッキーだぜ、おまえら」
「本当、わたくしのおかげですのよ?」
 突然すっとよく通る女性の声。「げ」と小さくラトナが呻いたが、ルイが首を傾げるとラトナの後ろに綺麗な、透き通るような水色の長い髪が見えた。
「え?」
「……! 水の神子!」
「だぁもうおまえ出て来んなよ」
「だって、光の神子が来たなんて言われたら黙ってられないでしょ?」
 言いながらラトナの後ろからその長い真っ直ぐな髪をふわりと散らして、アメジストのような深い紫色の大きな瞳を輝かせて姿を現した女性がラトナの腕に自分の腕を絡める。
「はじめまして、水の長ソーマの娘、ディーネと申しますの」
「ディーネ様……っ、なぜテルスに、」
「ラトナに会いに着ていましたの。そしたら任務で街の外に出てるって言うし、仕方ないからここで待ってたら急にばたばたして怪我人が運ばれてくるし」
「では、我が隊の騎士を治癒してくださったのは」
「カイト様正解ですわー、わたくしがいてよかったでしょう? ラトナ」
 ふふ、と微笑んでラトナの顔を覗きこむディーネに、「ああ、はいはい」と頭を掻いたラトナは少しだけ頬を赤らめる。
「治癒に優れた水の神子様がいてくださってよかった。ありがとうございます、ディーネ様」
「いえいえ。まぁ、申し訳ないけど腕が元通り動くかは……本人しだいよ。そこは理解して頂戴ね? で、そっちの子も治癒が必要?」
「アイラは力を使いすぎただけですので」
「なら、ラトナから回復薬を貰うといいわ。ねぇラトナ」
「ああ、すぐ神子の分も用意するから安心してくれカイト、デュオ」
 にこにことラトナに腕を絡めたまま透き通る声で話す女性は背はルイより高いようで、すらりと伸びた手足、白い肌。目を引き付けるには十分すぎる容姿。
 ルイはシャルが無事という報告でとりあえず少し落ち着いたのか、涙で歪んだ視界を袖で拭い、その様子をじっと見ていた。
「可愛らしい子ね、ぜひ今度お話したいわ」
 微笑むディーネの言葉に、はっと慌てたルイはすぐ身体を起こしてはじめまして、と頭を下げる。途端ぐらりと身体が揺れ、カイトが慌ててそれを支えた。
「光の神子はそのうちおまえの町にも行くから、今は休ませてやるぞ。ほら」
 ラトナは絡みついた腕をそっと離し、戸口に追いやると頬を膨らますディーネを指差してこいつ戻してくる、とぶっきらぼうに言い放った。
「長から伝言、報告は俺がしといたから、おまえらは明日でいいそうだ。もう夜も遅い。とりあえず今日は休めだとさ」
「……ラトナさん!」
 去ろうとしたラトナを呼び止めたのは、ルイだった。部屋の人間の注目を浴びたルイはそのまままだ潤む瞳を揺るがすことなく真っ直ぐにラトナに視線を合わせる。
「……ありがとう、ございました」
「……いえいえ」
 会話は、それだけ。カイトの袖を握ったまま視線を落としてしまったルイに、ラトナは一度にっと笑うと手を上げて、カイトに「すぐに薬と食事を運ばせる」と告げるとにこにこ微笑んだままのディーネを連れて部屋を出る。
「おいカイト、部屋もう一つあったし、俺そっちに引き上げるわ」
「え?」
「おまえは席外さなくていいみたいだしな。アイラをこの部屋に置いといて、ルイ様に寝ないでみさせるつもりはないだろう? 俺が隣の部屋でこいつにつくよ」
「あ……ああ、すまない」
「手、出すなよ」
「わかってる!」
 にやりと笑うデュオに、一瞬目を見開いた後すぐに顔を赤くして怒るカイトを見て、漸くルイは身体の力を抜いた。
 アイラの顔色が悪くない事にほっとしてデュオに頭を下げ、引き上げる二人を見送って漸くカイトと目を合わせたルイは、しかしもう一度その緑の瞳に涙を溜めた。
 そっと膝を突いてベッドに腰掛けるルイにただ黙って手を伸ばしカイトはその頭に手を滑らせ、髪を梳く。
「アイラも眠っているだけですし、シャルは大丈夫です。ルイさん」
「う、わたし、私っ! 私のせいなのにっ」
「違います、ルイさん。守れなかった私が悪い」
「違う! カイトさん、私を動かないようにしてた! 私動いちゃいけなかった。あいつは明らかに私を挑発してたのに……っなんで!」
「……ルイさん?」
 様子がおかしいルイに、カイトは少し距離を縮めその顔を覗きこむ。ルイの手は震え、その顔は恐怖に歪んでいる。初めてみるルイの強い感情に、カイトは驚きで目を見開いた。
「怖い、怖いこわい! お母さんと同じ言葉を言うあいつらが怖い! 嫌だ! 私を否定しないで!!」
「ルイさん!? 落ち着いて、ここには私しかいません!」
 叫び手を振り回しいやいやと全身で何かを拒絶し始めたルイに、カイトは慌てて傷つけないようにと手を押さえ込む。暴れるルイを抑えようともがくと、後ろに倒れこんだルイの両手を押さえたままカイトもルイに被さる形でベッドに倒れこんだ。
 見下ろすルイの瞳からはぼたぼたと涙が流れシーツを濡らす。口は微かに動き何かを言っているようだがもうわからなかった。
「ルイさん、ルイ、大丈夫だから。ここにあなたを否定する人は、いないから」
「こわい……助けて」

 小さな小さな助けを求める声。初めてルイが感情を露にするのをカイトは見た。
 暖かな雰囲気を纏うように見える彼女が実はどこか冷めていて、貼り付けた笑顔に感情を押し殺す事も止め欲もなく諦めたようにすごしているのを一ヶ月以上見続け、いつか素直な彼女を見たいと願ってはいたが
 カイトが初めて見た少女の激動は、強い恐怖によるもので……カイトは静かに口を引き結んだ。
「うわぁああああっ」
 ずっと堪えていた何かを溢れさせてしまったようにひたすらに泣き叫ぶ少女を、カイトは腕を背に回し強く強く抱きしめた。
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