たった、ひとこと

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  第二章・契約と魔法―8  

「あー、あいつら失敗したぁ!」
 暗闇で、子供の甲高い声が響いた。
「もう少しだったのに、悔しいなぁ」
「……まぁいい。まさか光の神子を狙うとは思わなかったが、向こうの状況が得られただけ上出来だ。あいつはまだ魔力を殆ど使えてないらしい」
「負けちゃったけどね」
「あんな下級戦士に負けては、むしろ我らが神子はご機嫌を損ねるだろう」
 だよねー、と、小さな子供が笑う。
「今度は、もう少しマシな奴に相手をさせるさ……ああ、お前が、行くか?」
 にやりと男が笑う。嬉しそうに、子供がその幼げな口元を歪めて笑みを返した。



「ルイ様、そろそろお休みになったらどうです?」

 部屋でひたすらに本を読み続けるルイに、少し心配したようにアイラが声をかけた。
 ルイの周りには、ルイ自身を包むものと、その周囲にふわふわといくつかシャボン玉のような光が浮かんでいる。数日前に外出許可が取り下げられてしまった為、訓練所に行く事ができなくなってしまったルイは部屋で防御壁を練習しながら魔法の勉強をしていた。胸元に、透き通った薄い青色のブローチをつけている。
 本を読みながら同時進行で結界を張る練習をするのだから、当然疲労は早い。アイラはルイのページを捲る速度が遅くなってきた事に気がついたのだ。

「んー、大丈夫、です。もう少し」

 そんな事を、数回繰り返した辺りで、部屋にこんこんと訪問者を知らせる音が響いた。アイラはちらりとルイを見るが、ルイは気づいている様子がない。
 ため息をついたアイラは、恐らく訪問者は今唯一ルイを止める事ができる人物であろう事を予想して、すぐに扉を開けた。

「カイト様! 何とかしてくださいませ」
「……ああ、またですね」
 カイトは苦笑して、部屋に入り込む。ルイの前までまっすぐに進むと、幼子を叱るような優しい声で、「こら」と言って苦笑した。
「ルイさん」
「え? わっ」
 カイトが名前を呼ぶと、ぱっちんと周囲の光の膜が割れ、驚いた顔をしたルイが腰掛けた椅子から背の高いカイトの顔を見上げて、小さく「うぁ」と声を上げた。いたずらが見つかった子供のような表情をする。
「あれ程無理をしてはいけないと言ったでしょう? アイラが心配していますよ」
「ごめんなさ……夢中に、なっちゃって」
「熱心なのはいい事なんですが……いえ、やっぱり駄目です」
 少し無理しすぎです。とカイトはそっとルイの頭を撫でる。実はこうして止めるのは、今日で五回目だった。無理矢理休ませて、また無理してをここ数日繰り返しているので、アイラですら少し呆れ気味だ。

「ルイ様が無理しないように、カイト様にこの部屋で生活してもらいたい位ですわ」
「それが、ルイさん。母さんが本気で心配して、本気でそれを提案してきてるんです。あんまり無理すると本当に私がここで見張りますよ?」
「え! そ、それは……見張られたら、集中できません」
 冗談めかしていうカイトとは違い、とたんに真っ赤になって口を尖らせ、本をぱたんと閉じるルイにアイラは二人の後ろで嬉しそうに笑う。
 ここ数日、ルイの表情は以前に比べると本当に変化がよく見られるようになった。笑顔を時折見せ、アイラと話していても楽しそうにしていて、わからない事を素直に質問してくれるので話し出すと会話は止まらない。
 特に、時間の流れの違う異世界の彼女の身体が、現在はこちらの世界と同じ時を刻んでいる。と医師に判断されてからはほっと表情を崩し、それからだろうか。カイトが来ると嬉しそうに微笑むので、その表情を見るだけでこちらまで幸せになれそうだ、とアイラは思っている。
 ここで気になるのがやっぱり乙女心というもので、アイラがさりげなくカイトの事をルイに尋ねてみると、「お兄さんができたみたい。本当にいたならこんな感じで楽しかったんだろうな」なんて回答が返ってきた事だけがアイラの不満なのだが。「どう考えても、違うだろう」、と。

「また約束破ってたみたいなので、これはお預けですね」
「え? あ、新しい本……! ず、ずるいです。お部屋にいたら、読みたくなるんですもん」
「すみません。防御結界が安全に張れるようになるまでは、我慢して下さいね。まぁ次に外出する時は、目を離したりしませんけれど」
 だからと言って、無理して結界の練習をしたら連れていきません。と笑顔で言うカイトに、ルイは少し唇を尖らせた。
 ルイの外出許可が下りなかった為に、王都に滞在していたイオやレンが町に戻る時見送りができなかったのだ。
 買い物もあの日は途中で終えてしまった為に、本当はルイが一番興味があったアクセサリーショップに寄る事もできなかった。
 この世界では宝石は魔法の原動力。ルイが今胸につけているブローチも、防御壁を張る為にカイトから借りたものだ。

「ルイ様はお買い物に行きたいんですものね」
「え? 何かほしい物があるんですか? 言ってくだされば用意……」
「ち、違いますっ! ほしいんじゃなくて、見てみたいんです。いろんな石とか……カイトさんの胸のバッチとか、ベルトの装飾具とか、全部魔力石なんでしょう? いろんなの、見てみたくて」
「ああ、そうですね。それなら……」

 少し思案したカイトは、「私の部屋に行きますか?」と言った。
「店程ではありませんが、いくつかありますから」
「まぁ、カイト様のお部屋って……メイドも入ったことがない我らが屋敷の未知の領域じゃないですか」
 ふふ、とアイラが笑う。カイトの部屋には魔力石と呼ばれる魔法に使う石や武器が多いために、使用人は出入り禁止……それこそ、たまに訪れるライト以外では部屋の主しか入った事がない部屋だった。

「え? いいんですか、このお部屋、出ても」
「私がご一緒できる時だけですが、それでもよければ」
「嬉しいです!」
 ルイはここに来て文句を言う事がない。言われればこの軟禁状態が続いていても、特にアイラに対して愚痴をこぼしたりする事すらなかった。それでもやはり退屈していたようで、すんなりとカイトの部屋へ行きたい、と胸の前で手を組んで目を輝かせた。
 アイラがにやにやとカイトを見れば、カイトはそれに気づきさっと目を泳がせる。心なしか耳が赤いのは、今はアイラしか気がつかない。
「では、私は用事がありますので少し出ていますね。ごゆっくり、カイト様」
「……はぁ」
 気の抜けた返事をカイトがすれば、アイラはそそくさと部屋を出て行く。ルイはといえば、嬉しそうに椅子から立ち上がり、「今行ってもいいんですか」とカイトの顔を覗き込むように尋ねた。
 普段は長い前髪が顔を隠すものの、身長の高いカイトをルイが見上げるとさらりと髪が流れて、真っ直ぐに遮るものがないルイの瞳がカイトを見つめる。
 三十センチ以上の身長差。それは意図せずルイが上目遣いにお願いしている形になるわけで、カイトは思わず片手で顔を覆った。
「……失敗したかもしれません」
「え?」
「…………いえ。では行きましょうか。……ご期待に添えるかはわかりませんが」


「どうぞ、散らかっていますが」
 カイトに案内された部屋は、二階への階段を上がってすぐのところだった。ルイの部屋はそれより奥にあるのだが、数部屋挟んで隣、という近さだ。今まで何度か前を通り過ぎていたんだ、と思いながら、小さく「お邪魔します」と部屋へ足を踏み入れたルイは、片付いた部屋に目を丸くした。
「散らかって……って、全然散らかってないじゃないですか」
 むしろ部屋の中は物がなさ過ぎて驚くくらいだ。ベッドに、茶色で統一された上品な様子の机と椅子、それにテーブルとセットで椅子が二つ。広い部屋で一番目立っているのは、本棚位だろうか。
 カイトのイメージ通りと言えばそうなのだが、魔力石や武器がたくさんある、と聞いていたので、もう少しすごい部屋だと思っていたルイは、首を傾げていた。むしろ、それらしき物は部屋に見当たらない。
 ルイの部屋には、風呂とトイレ、簡単な物であれば作れそうな台所もついていて、ホテルのようだとルイは思っていたが、どうやらカイトの部屋もそうらしい。カイトはルイに椅子を勧めると、お茶を入れる為に湯を沸かし始めた。
「ルイさんのお目当ての物は、あっちの部屋ですよ」
 きょろきょろしているルイを見て笑いながらカイトが指差した方向には、閉ざされた扉。
「……うぁ、すみません、きょろきょろして」
「いいえ。面白いものはないでしょう? あの扉の向こうなら、少しは楽しめるかもしれませんね」
「お部屋、綺麗ですね。……私、そういえば男の人のお部屋入ったの、生まれて初めてです」
 机の上に置かれている本や、本棚を見ながら呟いたルイは、カイトがまじまじと見つめているのは気づいていない。
「え……あ、ご兄弟は」
「妹が一人いますけど……父親も殆ど家にいなかったし、部屋なんて……あ、カイトさんは普段何してるんですか?」
 ルイがあからさまに途中で、話題を変える。本人は僅かに眉を顰め、しかしカイトに視線を合わせず、強引に。
「……そうですね、基本は、仕事なんですよ」
「へぇ……あ、お茶……ありがとう、ございます」
 笑顔でお茶を口に含むルイに、カイトはそれ以上話を進めることができずに向かい側に座り、カップを手に取った。

 ルイが戻りたいと言わない理由を、もしかして元の世界で何かあったのでは、と思い始めていたのは最近だった。
 カイトはルイがあの日襲われた理由は聞いていた。自分に好意を持つ人間が、僻んだのだと……本人の意思に関係なく、わずかな感情が闇の者に操られ増大したのだと、兄から。
 ルイはそれを彼女達に言われたのだろうと、あの時言いよどんだのを思い出してカイトはそれを聞いた時、頭を抱え込んだ。
 それでも文句一つ言わない彼女。それに……ルイの身体の成長速度を検査した時の、医師の言葉を思い出して……カイトは少しだけ視線を下げた。

「では、鍵を開けますから少し待っていてくださいね」
「……なんか、頑丈そうですね」
「ええ、二重にかけてあるんですよ。実は、危ないからこの部屋にメイドを入れないって言うのは、嘘なんです。どうせこの部屋には鍵がかけられていて入れませんからね」
「え?」
「ただ単に、人が入るのを好まないだけなんです。……ああ、ルイさんは構いませんよ。特別です」
 ふっと、何かを含んだような笑い方をするカイトに、ルイは素直に目を見開いた後微笑んだ。
 その反応はカイトの意図していたものではなかったが、カイトも微笑んで扉を開け、駆け寄ったルイを部屋へと招きいれた。

「うわぁ、すごい、です……!」
 部屋中、所狭しと並べられる武具、そして宝石に、ルイは大きく息を吐いた。
 決して散らかっているというわけではなく、丁寧に扱われているとわかるそれに、やはりカイトは綺麗好きなのだろうと頷いて、ルイは惹かれる用に部屋に吸い込まれていく。
「危険な物もありますから、触れては……ってルイさん、危ないですから」
 ふらりと剣や槍が置かれている場所に近づいたルイが、足元を見ずに歩いているのを見てカイトは慌てて腕を引く。
「ひぁ、すみませ……す、すごいですね、この部屋」
 カイトの腕に抱え込まれた事より周囲に夢中になっているルイに、カイトは少しばかり苦笑して腕を解いた。
「私の家では殆どがフォレストーン騎士団に所属しますから、入手にそんなに苦労しないんです」
「へぇ……でも、透明な石が多いですね。カイトさんの胸についてるのは、ルビーですよね?」
「ああ、ルビー、ダイヤモンド、サファイア、エメラルド、それと純粋なクォーツは、各地の神殿に行かなければ得られません。一般の能力者が使う石は殆どがそれ以外ですから」
 納得したように「そうなんですね」と呟いたルイは、しばらく部屋の中を珍しそうに見回した後、カイトの傍まで戻る。
「ありがとうございます。また、見に来てもいいですか?」
「え? ああ、楽しめたのでしたら構いませんけれど……」
 一瞬だけ困ったように微笑んだカイトは、しかしすぐに「また」とルイの頭を一つ撫で、部屋を出る。
(男の部屋、なんですが、ね……アイラが兄だと思っているって言ってはいましたが、なかなか……)

 カイトのため息は、ルイには聞こえない。
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