たった、ひとこと

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  第二章・契約と魔法―2  

 カイトからもらった石はその日出番はなかったけれど、なんとなく安心するな、とルイは朝早く目が覚めてしまった為、ベッドの脇にあるサイドテーブルに石を置いてずっと見つめていた。
 携帯電話なんてないのだろうな、と考えて、こんな世界で一人迷子になるのは勘弁したいところなので、大事にしなければとルイは手を伸ばす。

 自分は結構落ち着いている。わかっていた。きっとそれは、帰りたいと思っていないから。
(……これ、握ったらすぐ伝わってカイトさん来ちゃうのかな。詳しく聞いておけばよかった)
 透き通った透明の石。お守りのようだ、と、考えていると、扉からこんこんと音がする。
「……はい?」

「失礼致します、おはようございます、ルイ様」
「え?」
 てっきりカイトだと思ったのだが、現れたのはふわふわとした短い髪をピンで留めた快活そうな女性だった。もちろん髪は金。黒に、白いエプロンをつけているその姿は……メイドだろうか。
「本日付けで光の神子様のお手伝いをさせていただく事になりました、アイラと申します。身の回りのお世話はお任せ下さいませ」
 にこりと微笑まれ、ルイは混乱した。さっそく、と手渡されたのは、シンプルなワンピースで。部屋の奥に浴室があるからと手早く準備に取り掛かり始めたアイラに驚いて、ルイは待ってと声を掛けた。
「身の周りの世話って」
「ふふ、カイト様が仰っていた通りの反応ですね。失礼ながら、カイト様に伺って参りました」
 でも駄目です。そう言って、アイラはぱたぱたと浴室に消えた。

 その後はもう、言われるがままルイは入浴し、着替え、髪はアイラに乾かされて。慣れずに混乱したのだが、こればかりは慣れてくれ、とアイラも引く様子はない。
「遅くなってすみません」
「カイトさん……!」
 昼食も終えた頃に現れたカイトは、自分の名を呼ぶルイの困ったような表情を見て、思ったとおりの反応です、と笑っていた。
「あなたの世話をする人間をつけるのは決まっていた事なのですよ。あなたは遠慮するでしょうから、友人だと思ってくださればいいんです。アイラは適任です」
 そう言い聞かせて来ましたから、と笑うカイトに、ルイはため息をついた。世話をする時点でどう考えても友人ではないだろう。確かに変に畏まられるよりは、アイラは親しみ易い笑顔でにこにこと話をしてくれていて、昼までの間少しばかり楽しい時間は取れたのだが、メイド服を着た女性に世話をされるというのはなんとも妙な気分だった。
「慣れて下さい」
 問答無用でそう言い切ったカイトは、そうでした、と言って本を数冊、ルイに手渡した。
「読めない場合、教える人間が必要でしょう?」
 そう言って手渡された本に目を落としたルイは、小さくため息を吐いたあと「はい」と頷いた。……読めなかったのだ。

 その日から数日、ルイは体調を見ながら、アイラとカイトに文字や世界の事を教えて貰いながら過ごした。文字は、まったくわからないというわけではなく、安心した。言葉が通じるだけあって、文法が一緒だったのだ。
 困ったのは文字の形が違う事だが、どうやらローマ字と同じように母音と子音を組み合わせるような読み方で読めるようだ。ルイは英語を苦手としていたので、それには大きく安堵した。特に文句も言わず勉強を続けるルイに、二人は丁寧に教えてくれる。

 数日たったある日、魔力を見るからと言われ、一度だけリルが訪れた。まだ微かなものだが、確実に光の民の魔力を持っている、と、占いに使うような水晶に触れたルイにリルは説明した。
 だが、光の神子は、四つの属性すべてを扱えなければいけないと言われ、混乱を防ぐ為に、ある程度ルイの力が育つまでは異世界から神子が現れた事を一部の人間を除き伏せるそうだ。
 カイトに護られたルイは、表向き「記憶消失の少女が有望な能力者だった為」らしい。怪しすぎる。それにしては過保護なのでは、という疑問は、カイトに笑顔でどこかに追いやられた。
 そんな理由のせいで、一度だけカイトの父親と、ライトが挨拶に来たが、それ以外はアイラとカイトとだけ過ごしたルイが文字の勉強を始めてしばらくたったある日の朝、アイラがいつも以上ににこにこと部屋に現れた。

「おはようございます、ルイ様。今日は、カイト様が外に連れて行ってくださるそうですよ」
「え、本当ですか?」
 思わず驚いて飛び起きれば、ええ、と嬉しそうにアイラが頷く。
「漸くお外に出れますね。とは言っても、近場なのですけれど。騎士団の本部に行くそうですわ」
 そういいながら用意してもらったオフホワイトのワンピースに着替え、その間にアイラが食事を並べてくれ、ルイは紅茶を口にした。トーストとサラダだ。今のところ食べ物にあまり違いがないので助かっている。たまに、知らない果物が出てくるが。米や味噌と言った日本食もないようだったが、悪く言えばあまり自分の欲に執着がないルイは早々に諦めたようだ。
「今日はサファイアの四十ですから……丁度こちらに来て二週間目にしてやっとですわね」
「……え? アイラさん、今、何て言ったんですか?」
「え、二週間目……」
「あ、そこじゃなくて。サファイアの」
 すごく聞きなれない言葉を聞いた気がする。そして、嫌な予感がする。そう思って聞こうとしたルイの言葉に重なって、部屋にノックの音が響いた。
 アイラが「はい」と返事をして扉に駆け寄る。どうやら、カイトがもう部屋についたようだ。

「カイトさん! おはようございます」
「おはようございます。ルイさん、もう聞きました?」
「はい、今日、外に連れて行ってもらえるって」
「ええ、お待たせしてすみませんでした」

 微笑むカイトに、そうだ、とルイは先ほどの疑問を、慎重に尋ねた。
 嫌な予感程、当たるものだ。
「カイトさん、あの、こっちの世界の暦ってどうなってます?」
「暦?」
 心配そうに様子を見ていたアイラが、「ああ、まさか」と口元を手で押さえた。
「ルイ様の世界では、違ったのでしょうか。今日はサファイアの四十と申し上げましたわ」
「……そうなんですか? ルイさん、今日は、年始から始めて九番目の月の、四十日目です」
 瞬時になんとなく理解したカイトが、アイラの言葉を噛み砕いて説明した。ルイの目が驚きに見開く。
「一ヶ月、何日ですか……?」
「……、七十日です」
「じゃあ、一年は何月?」
「十二、ですが」
 ルイはさっと青くなってすぐに計算をした。十二、掛ける、七十。
「い、一年八百四十日もあるの……!? そんな、えっと、一年で一歳ですよね!? そんなっ」
 珍しく混乱しているルイを見て、カイトは少し驚いてルイに目線を合わせられるように屈み、落ち着いて、と言って肩に手を乗せた。
「あなたの世界では、違うんですね?」
「私の住んでいたところは一年三百六十五日です。どうしよう、私、ここの人たちの二倍以上早く歳を取るの?」

 誰よりも先に歳をとる。やれる事も、やれないかもしれない。それがどんな影響を及ぼすかもわからない。
 そしてまた一人ぼっちになってしまうのだろうかという考えが頭に浮かんでしまい、ルイは珍しく混乱を露にした。

「落ち着いて下さい、ルイさん。あなたはこちらの世界に来て、髪の色も瞳の色も変わったのでしょう?」
 一瞬考えるように視線をさ迷わせたが、しっかりとルイの目を覗き込んで言葉を続けるカイトに、ルイがゆっくりと肩の力を抜いていく。
「身体がこちらに合わせて変化している事も考えられます。後で一緒にお医者様の所に行きましょう。ですから」
「……すみません」

 ルイが落ち着いたのを確認して、アイラがほっと息を吐いた。
「驚きましたわ」
「あ、騒いでごめんなさい。もう大丈夫です」
 物分りが良すぎるのもどうかと思うのだが、とカイトは少しだけ思ったが、それを言葉にはせず、朝食の終わったテーブルを確認した。
 では、行きましょうか。と声を掛ければ、少し不安そうに眉を下げたルイが立ち上がる。
 本当は喜んで、笑顔でも見れるのでは、と思っていたカイトとアイラの二人は目を合わせ、小さく首を振った。


「何も言ってはいませんでしたが、外には出たがっていると思いますわ。この話をしたら、喜んでくださるでしょうか」
「笑ってくれるといいんですが」
 ここに来る前、アイラとカイトはそんな話をしていたのだ。ルイは遠慮がちに微笑む事はあったが、いくらアイラが笑わせようとしても、楽しそうな笑顔を見せた事がなかったのが、数日ルイと共に過ごした二人の心配事だった。



 騎士団の本部は城の門を出て、すぐ隣だった。とは行っても城の敷地が広いので、歩いて十分程かかったのだが。
「カイトさん、あれってどれくらい時間かかるんですか……?」
 ここに来る前、城の敷地内にある医者の所に行って、ルイは髪の毛を数本、検査するからと言って切られていたのだ。
 本当にこの世界の人間より早く歳を取るのか調べるらしい。科学的な感じなのかと思ったら、魔力がどうのこうのと言っていたのでおそらく聞いてもわからないだろうとルイはカイトに話を進めてもらっていた。
「そうですね、一週間はほしい、とお医者様は言っていましたが……、不安ですか?」
「うーん、今はどちらかと言えば、大丈夫です」
(何て言っていいのかわからないけど……慣れてるし)
 ルイはそう考えて、大丈夫ですから、と微笑んだ。
 しかし、ルイの反応にカイトはこっそりとため息をついた。何があったのかわからないが、二週間以上共にいて、泣くこともなく、そして「帰りたい」とも言わない笑わない少女に、何かあるのだろう、と気にして。

「カイトさん、ここ、中入れるんですか?」
「ええ、今日は魔法を少し、お見せしますよ」
「い、いよいよですね……」
「その前に、今日は各隊の隊長が丁度任務報告で集まっているので、挨拶でもしに行きましょうか。事情は説明して連絡しておいたので、全員に会えると思います」
 カイトの言葉に、ルイは他の町の人に会えるのかと少し喜んでいた。王都についた時に、髪の色が違う人を街で見かけていたから気になっていたんです、と、笑顔を見せる事はなかったが、声が少し弾んでいた。
「時間はあまり取れませんから……ああ、もう時間ですね。行きましょうか」
「はい」

 建物の中に入り、広いフロアを真っ直ぐと突き進んで、大きな扉をカイトが開けて中に入る。
 全体的に白い内装の建物で、敷地内には宿舎もあるそうだ。かなり大きな建物だ。
「お、待ってたんだぜカイトっ」
 カイトに手を引かれて部屋の中に入ったルイは、まず赤い髪の少年と目があった。歳は同じくらいだろうか。しかし、身長差があるせいで見上げる形になってしまう。
「そのちっこいのが光の神子か? なんだ、楽しみにしてたのにガキかよー」
「が、がき……」
 言われた言葉になんともいえないショックを受けて、思わずしょんぼりと俯いて復唱してしまったルイの隣で、カイトが「何を言うんです」と赤い髪の少年を注意していた。
「駄目だよレン、そんな事言ったら」
「ま、確かに小さいな」
「……お前も失礼だな」
「つーか何で手繋いでるんだ? カイトって年下好きだったのかよ」
 落ち込んでいたルイの前がふっと急に暗くなり、顔を上げるとどやどやといきなりルイの前に、緑、茶、青色の髪の男達が現れて、驚いてルイは固まってしまう。
(な、何……? 何で一気にこんなに増えるのっ)
 ぴったりと固まってしまったルイは混乱の余りカイトと手を繋ぎっぱなしだった。しかも、少し強く握ってしまっている。
「はぁ、皆さんお久しぶりです。……ちゃんと紹介しますからちょっと離れてください」
 少しだけルイの前に出てカイトはそう言うと、赤い髪の少年を押しやってルイの方を振り向いた。

「騒がしくてすみません。紹介しますね。まず奥にいる青い髪の方が、サファイア隊のスイレン、その隣にいるのがダイヤモンド隊のラトナです」
 カイトがそう言うと、長い濃紺の髪の青年が頭を下げ、ルイにとっては少し馴染みのある茶色の短い髪の青年がよろしく、と片手をあげた。
「そしてこの子はエメラルド隊のイオ」
 よろしくお願いします! と人懐っこい笑みを浮かべた、緑の髪の少年が元気に頭を下げる。
「最後に一番失礼なのがルビー隊のレンです」
「おい、一番失礼ってどういう事だよ!」
「失礼でしょう」
 さらっと受け流すカイトは、微笑んだままだ。……若干怖い気がするのは気のせいという事にしようと、ルイは改めて四人を見る。
「えっと、スイレンさん、ラトナさん、イオさん、レンさん。ルイと申します。どうぞよろしくお願い致します」
 手を揃えて、ぺこりと頭を下げる。名前あってるよね。そんな事を考えながらどきどきとしてルイが顔を上げると茶色の髪の青年……ラトナが、にやりと笑った。
「レン、お前よりよっぽど礼儀がなってるし頭は良さそうだぞ。精神年齢は負けたな」
「はぁ!? 俺の方がっ」
「はい、喧嘩は後でいいので。ルイさん、せっかくですから、皆さんに魔法を見せてもらいましょうか」
「……いいんですか?」
「本っ当に魔法知らないんだなー」
 ルイが首を傾げてカイトに聞くと、誰かの驚いたような声が聞こえた。が、すぐに緑の髪の少年……イオが、手を上げて喜んで「僕やります!」と叫んだ。

「行きますよ」
 そう言ったイオの前髪が、どこからか吹きつけた風に舞い上がった。はっと気づいたルイが部屋を見渡したが、窓はどこも開いていない。
 ふわりとイオの身体が浮かび、ひゅっと音がしたかと思うと、離れていた筈のイオが目の前に現れて、ルイは「ひゃ」と小さく悲鳴を上げた。
「風の民の特徴は、その速さなんですよ」
 微笑んで説明するカイトに、何が起きたのだろうと目を見開いていたルイは、すごいです、と呟くように言った。
「そんなんで魔法なんて言うなよ。おい、俺が見せてやる。イオ手伝え」
「え? 何するんです?」
 赤い髪の少年、レンが問答無用でイオの手を引き、自分の前に立たせると、レンは何故か腰の剣を抜いた。
「レン、本気でやっては……」
 いけません。おそらくカイトがそう言おうとしたのだろうが、次の瞬間レンは走りだしていた。
「うぉおおっ」
「え、わっ!」
 慌てたイオが何事か呟くと、パン、と音がして、イオの周りにうっすらと球体が見えた。だが、その球体に剣が触れた瞬間、勢いよく炎が燃え上がった。
「きゃああ!? イオさん……っ」
 ルイが叫んだかと思うと、イオのいたその炎が燃え上がる場所に手を伸ばしたので、カイトがさっと顔を青くし「いけません!」とその手を遮る。
 何かが弾ける音がして、炎が迫った。ルイはそれを視界に捉えていたが、動かなかった。
「くっ」
 カイトは咄嗟にルイを引き寄せ自分の身体でルイを隠し、炎に腕を突き出した。ジュっと音が室内に響いて、次にルイが目を開けカイトの腕の中から部屋を見た時には、どこにも赤く燃え上がる炎はなかった。
 変わりに、ばしゃあっ、と盛大に水が流れる音がする。
「何をしている」
「ぐぇっ!? つめてぇ!」
 青い髪の青年、スイレンが、これもまた魔法なのか、大量の水をレンに浴びせたのだ。頭を冷やせ、と付け足して。

「大丈夫ですか、ルイさん」
 ずぶ濡れになったレンをよそに、すぐに心配そうに眉を寄せたカイトにルイは顔を覗き込まれる。
 大丈夫です、と答えたのだが、なぜか目の前のカイトの顔は歪んだ。
「額に、怪我を」
「え?」
 言われてカイトの視線の先、自分の額の左側に手を添えたルイは、なんとも言えない生暖かいぬるりとしたものに触れ、あ、と呟いた。
「ついていながら私は……っ! スイレン、治してもらえませんか」
「構わない」
 濃紺の髪を揺らしながらゆっくりとした動作で、それは優雅にスイレンが近づき、ルイの額に触れた。ひやりと冷たい感じがしたかと思うと、淡々とスイレンが「これでいい」と告げる。
「綺麗に治ってよかったです。……レン」
「う……ごめ……」
 じっと全員に見つめられて、レンがじりじりと下がる。

「……すごかったです」
 そんな中聞こえた声は、ルイのものだった。少し興奮した様子の声に全員がそちらに注目したが、ルイはそんな事を気にせず、レンを見ていた。
「なんか、魔法って感じでした。ちょっとどきどきしますけど、見せてもらえて嬉しいです。あ、でも……イオさんは大丈夫なんですか?」
「え? ええ、僕はすぐ防御壁を張りましたから……」
「やべ、それって俺がやればよかったんだよなー、俺だけ何もしてないじゃん」
 あーあ、と大袈裟に頭を掻いて、ラトナが俺は護りの術が得意なんだぜ、とルイを見て微笑んだ。
「今度、見たいです。スイレンさんも、ありがとうございました」
 スイレンもふっと笑い、カイトだけが少し難しい顔をしていたが、レンにくるりと背を向けてルイの手を取ると、微笑んだ。

「今使わなくてもいいんですよ?」
 少し屈んだカイトに、小さな声でそう言われる。え? とルイは首を傾げて、すぐに顔を赤くした。
 手にカイトから貰った伝達石を握りこんでいたのに、言われて気がついた。
「あっ……こ、これ、なくしちゃいけないと思って……っ」
(な、なんかものすごく恥ずかしい気がする……っ!)
「頼っていただけるのは、嬉しいですけれどね」
「おいおい、何二人きりで話してるんだよ、レン、怯えっぱなしだけど」
「お、怯えてねぇっ!」
 明るい声が聞こえて、カイトは「ああ」と皆の方へ振り返った。
「レンは、後でお仕置きです。さて、時間……過ぎてしまいましたね、すみません」
「……私はもう行く」
「あ、俺も戻らないと」
 スイレンが小さく「また、光の神子」とだけ告げて部屋を出て行き、ラトナも「またね〜」とルイの頭を撫でて、スイレンに続いた。
「私はルイさんを屋敷まで送ります。……レンとイオはしばらく王都に滞在でしたね。また連絡します」
 カイトがそう言って扉に向かうので、慌ててルイも二人に頭を下げてカイトを追った。

「……変な女」
「ええ? いい人だったじゃないですか」
 残された二人は、そう言ってルイを見送った。
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