たった、ひとこと

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  第一章・見知らぬ土地―5  

「疲れましたか? 明日には、王都にご案内します。ここは闇の者……魔物がいて、危険ですから」
「闇の者、ですか」

 もう、これ以上言われてもわからないかもしれない。とぼんやりと目の前にいる人物を見上げれば、彼は優しそうに微笑んだまま。
「ええ、先程説明した町以外に、闇の神の加護を受けた……闇の民も存在します。最も、魔物と呼ばれる存在で人間を攻撃してくるものが多く、拠点はありますが町があるわけではありません。先程の大きな生き物もそうです。町を一歩出ればそこはいつ魔物が現れるかわからない危険な場所になります」
「……怖い、世界ですね」
「すみません。こうなったのも……いえ。そろそろ、休みましょうか」
「えと、最後に一つだけ、いいですか?」
 突然顔を上げた涙に、カイトは一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに穏やかに笑う。何でしょうか、と言われて涙は少し迷ったように視線を泳がせたが、一度ぎゅっと目を瞑り、そして真っ直ぐカイトを見た。

(説明してくれたのは、この国の事、だけ)
「……あなたは私が異世界から来たってすぐに認めてこの世界の事を教えてくれたんですよね。……つまり、こんな事をすんなり信じる理由あるんですよね、知ってるんですよね? 私はそれが一番知りたいです」
 ぐ、と前に詰め寄り、涙はカイトを見る。彼は視線を泳がせることなく真っ直ぐに涙の瞳をしばらく見つめ、その後息を吐いた。
「……すみません。そうですね。……ですが、申し訳ありません。心当たりはあるのですが、詳しくは」
「いいです、教えてください。何もわからないほうが、その、落ち着かなくて」
「……占い、で。異世界の少女現る、と。探すように言われて、私はここに来ました。けど、まさか本当に異世界から来られた少女に私がこうして会うことが出来るとは思わず」
「占い……?」
「ええ、数ヶ月前、ですね。王都の占い師が、そう預言しました。異世界の光の加護を受けた少女現る、と」
「え? 光の加護、ですか」
「すみませんが、ここでは詳しくは……」
「あ、そう、ですよね」

 つまりどういう事なのだろう、と涙は考えて首を捻った。よくわらかない。今まで普通……かどうかは置いておいたとしても、日本で暮らしてきて、魔法なんかなくて。
 そんな話をいきなり飲み込めといわれても難しい。
 そう考えて俯いた涙は、視界の端に映る輝きにぎょっとした。
「えっ!?」
「どうしました?」
 カイトは、急に髪の毛を引っつかんで驚愕の表情を浮かべる涙を覗き込む。
 涙は少し青い顔をして、自らの濃い金色、蜂蜜のような色の髪を見つめた。
「金髪……!」
「……え? そうですね、綺麗な色だと」
「で、でも私、黒髪の筈で」
「黒? ですが、あなたは光の加護を受けた者の筈ですから、金で間違いないと……」
 光の加護を受けた者は、ほとんどが金色の髪を持っています、とカイトは首を傾げて呆然としている涙に教える。
 (色、変わるんだ……もう驚く事がありすぎて、あまり驚けなくなってきた)

「……私からも一つ、いいですか?」
「え? あ、はい」
 考え込んでいる時に、突然カイトから話しかけられ涙はびくりとその顔を見上げた。
「その……泣きたくは……怖くは、ありませんか」
「……怖いですよ?」
(今だって、びっくりして、怖くなって、あ……)
 そうか。もしかしたら、普通に考えたらいきなり異世界になんて飛ばされたら、と考えれば、こうして話しているのはおかしいのかもしれない、と、そこで漸く涙は気がついた。もっと、泣き叫んで、喚いて、……帰して、なんて訴えるものかもしれない。そう、泣くはずなんだ。けれど、もともと表情にあまり出ない上に、涙はそれをする事ができない。いや、泣くことを思いつくことすらなかった。そんな事は、言うなれば『慣れてない』

「……驚いて、ます。ただ、そうですね。驚きすぎて、どうするのが普通かわらかなくなっちゃいました」
 涙が困ったように瞳を伏せてしまい、その様子をじっと見ていたカイトは、そうですかとだけ言葉を返してすぐに、ではと続ける。
「お疲れでしょうから、そちらでお休み下さい。簡易の休息所ですので、寝心地は……あまりよくはありませんが」
 カイトが指差すのは、確かに硬そうな小さいベッド。しかし涙はそれを見た後きょろきょろと辺りを見回して、あの、と恐る恐ると言った様子でカイトを見た。

「ベッド……」
「すみません。初対面の男がいては寝にくいとは思いますが……とはいっても、私が外に出ては守護壁も張れませんし、申し訳ありませんがこちらで休んで下さいね。私はここで休みます。もちろんあなたが困るような事はしませんから」
 少し距離を取り、ここで、とベッドからは大分離れた位置でカイトは座り込んだ。涙は言いたい事はそうではないと、慌てて手を振った。
「いえ、そうじゃなくて……あの、私、ここで休みますからベッド使ってください」
「……え? なにを言っているんです。女性を床で休ませるわけには」
「でも、見たところベッド以外に毛布の類もないですし。風邪ひきます」
 困ったように涙は俯いた。


 自分も床で寝たら風邪をひくかもしれないというのは、わかっているのだろうか……カイトはふっと笑い、どうするべきかと部屋を見渡した。確かにベッドに申し訳程度に薄い布があるだけで、他に体を包むような物はない。守護壁を張った事で多少部屋は暖かいが、気温は低い。今部屋を照らすのは小さな火一つで、守護壁を張っている今その火を大きくして気温を上げる事はカイトの体力的に望めなかった。
 ふとそこまで考えたところで少女の身体がカタカタと震えている事にカイトは気がついた。薄明かりでわかりにくいが、指先も唇も白く、涙の着ている服はかなりの薄手。小屋に到着した時にジャケットを肩にかけたものの、スカートで足はむき出しで、おそらくとてつもなく寒いのだろう。


「……何もしないと誓いますから、一晩我慢できますか?」
「え?」
 カイトはゆっくりと驚かさないように立ち上がり、涙の手を取った。たった一つしかないそのベッドに向かい布を寄せると、涙の身体に腕を回した。
「手、これ程冷たくなるまで気づかず、申し訳ありません。この薄い布団では身体は温まりませんね」
「え? あの」
 涙は抱き込まれ混乱した頭で、おろおろと視線をさ迷わせる。
 カイトは落ち着かせるように手を涙の頭に動かして、髪を梳く様に上下に動かした。
「怖がらせて、すみません。絶対に何もしないと誓いますから、一晩だけ信じてください」
「信じる?」
 カイトは撫でていた手はそのままにもう片方の腕でゆっくりと涙を引き寄せ、そのままベッドに座らせると、横たえる。自分が抱き込むような形で。
「……っか、カイトさん……!」
 涙は引き寄せられた彼の胸に手を添え、慌てて押してみるも、まるで抱き枕の様に抱えこまれていてぴくりとも動けない。暖かい体温に、髪をくすぐる彼の吐息に驚いて、涙は目をぎゅっと閉じた。
「初対面の女性に、とても礼儀の欠いた事をしているという事はわかっています。ですが……もう少し魔力が高ければ部屋を温める事もできたのですが、申し訳ありません」
「カイト、さん」
(そういえば、彼はずっと謝っている気がする。魔法の事はよくわからないが、守護壁というので彼はもしかして魔力とやらを随分と使っているのだろうか。自分を護る為にあの魔物と戦った時も、魔法を使用していたのだし)
 考えながら自分を包み込む腕を押すことを止めた涙は、ふ、と一つ息を吐いた。 「……すみま、せん」
 一人暴れるのが申し訳なくなって、一言謝罪して離れようともがくのを止めた。彼は優しくあやす様に頭を撫で続けていて、涙の顔は丁度彼の胸の辺りにある為に表情は見えないが気を使ってくれているのが何となくわかる。
(すごい……いい人なのかもしれない)
 落ち着いていて、大人で。ずっと自分を気遣っていた事を思い出して、暴れた自分が恥ずかしくなる。
 と、包まれる温もりに、涙は疲れなのか急速に眠気に襲われた。そういえば、身体は重くてものすごく疲れている。いろんな事があったから、当然かもしれない。
 涙は初対面の男の人に抱かれているのに、いい人なのかもしれないけれど完全に信用していいものかすら迷っている状態なのにおかしいな……と、ぼんやりした頭で自分は結構神経が図太いのだろうかと考えて、肯定して、ゆっくりと襲い掛かる睡魔に抵抗する事を諦めた。
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