たった、ひとこと
第二章・契約と魔法―7
「……ライ、兄さん」
細い路地裏、人通りのないその場所に近づく気配に、カイトはルイを腕に抱いたまま、後ろを見ずに声を出した。
「あーあ、カイ、お前何してたんだよ。代々フォレストーン騎士団長を努めるフォルストレ家の息子ともあろうもんが」
ゆっくりとカイトが後ろを振り返れば、そこに金の長い髪をなびかせて、颯爽と現れたのは自分の兄。
「お前の姫さん、ボロボロじゃねぇか」
「きゃぁあ! ルイ様ぁ!」
ライトの後ろから、顔を真っ青にしてアイラが飛び出して来る。乱暴に扱われたのかところどころ破け、泥だらけの靴や服、腕や足の小さな傷から血をにじませたままカイトの腕の中で眠るルイの頬に触れ、今にも泣き出しそうにルイの名前を呼んでいる。
「大丈夫ですアイラ、気を失っているだけです」
「わ、わたく、しが、離れたりしたから……」
「兄さん、どうしてここに」
目を離してしまったのは自分も同じ。そう悔やみながら視線を兄に移したカイトに、ライトはため息混じりに「お迎え」と伝えた。
「母さんから伝言。この前の南の門の騒ぎで、死体になって町に落ちてきた南門の兵士に闇の者が取り憑いていた可能性がある。至急神子を連れて戻れ」
「遺体に……それで結界を突破して街中に闇の者が入り込んでいたのか」
「知ってるってことは、倒したんだろ? 今ここで発生してた魔力はお前のせいかぁ?」
カイトは答えず、口を閉ざして目を逸らす。その反応をライトはただ黙って見ていたものの、追求する事はせず背を向けた。一言、「さすが神子様」とだけおもしろそうに呟いて。
「ま、もう気配はないし浄化されたんだろうけど、残念だけどお前のお姫様には城に戻ってもらうぞ。これでまたしばらく外出できないのは可哀想だけどな」
「は、はやくルイ様の傷を」
涙目で訴えるアイラに頷いて、カイトはひょいとルイを抱き上げる。と、すぐに腕の中で小さな声が聞こえた。
「……ルイさん? 目が、覚めましたか?」
「ルイ様!? 大丈夫ですか? どこか辛くありませんか?」
「う……ん……カイ……さ、」
近寄ってアイラが声を掛けると、辛そうに眉を顰め、身体を縮めたルイが、うわ言のようにカイトの名を呼ぶ。気がついたわけではないらしく、ずっと伝達石を持ったままでその手を強く握っている。
「おーや、お呼びだぞーカイ。あの女には無関心で、微笑みながら言い寄る女ガン無視してたお前が、随分懐かれたもんだなぁ。ま、姫さんの前じゃいっつも楽しそうにしてるもんなぁ?」
「煩いですよ、ライ兄さん。人を極悪非道人みたいに。それよりこのまま通りに出るわけにいかないんですから、治療してください」
「なんだ、つまんねーな」
「え? ライト様って、治癒術使えました?」
アイラの驚く顔を見て満足そうに頷いたライトがルイに手を翳すと、淡い光に包まれたルイの手足の小さな傷が薄くなり、消える。
「まぁ! すばらしいですわ。もしかして、契約されましたの? やっぱり、王女様と?」
「当たりぃ、アイラちゃん、これ内緒だぜー?」
小さな桃色の石を埋め込んだ指輪を右手中指に嵌めたライトが、嬉しそうに指をアイラに見せる。
「綺麗な桃色の想い石……素敵ですわ。契約されたから、新しい魔法が使えるようになりましたのね」
「そゆこと。カイトもやったら? お前治癒能力は皆無だし、支援系も苦手だろ。攻撃力ばっか強くなりやがって」
「やったら? で簡単に出来る事じゃないでしょう、婚約の儀式なんですから。わかったらさっさと手袋嵌めて下さい」
むすっとした様子でルイを抱きかかえたままそう言ってさっさと歩き出すカイトの後ろで、ライトが怖いねーと言いながらにっと笑って小声でアイラを呼びながら傍によった。
「あいつ、やっぱ姫さんの事気になってる?」
「だとは……思いますけど。なんっかすれ違ってる感じがあるんですよね、お二人。今日もルイ様、妙にカイト様を避けてたみたいですし……大丈夫かしら」
「あれま。まぁ、若いっていいねぇ」
クツクツと楽しそうにライトは笑って、カイトの後を追って歩き出す。このまま通りに出れば、目立つカイトが女を横抱きにして現れた事でまた大騒ぎだろうな、とアイラに言いながら。
ゆらゆら揺れる感覚と、暖かい何かを感じてルイはぼんやりと目を開けた。
(……あ、あの日起きた時に、似てる)
ふわりといい匂いがする気がして、暖かさに気持ちが落ち着くようで、だんだんと輪郭がはっきりしてきた目の前にある物を見つめていたルイは、「ふぇ!」と間の抜けた叫び声をあげた。
「ああ、ルイさん。……大丈夫ですか? どこか、痛みますか」
「か、カイトさん。あの、えっと」
「気を失っていたんですよ。もうすぐ部屋につきますから」
カイトの顔が近くて、背と、膝裏に感じる温もり、それに自分の目に映る景色。ああ、もしかして今すごい体勢なのでは、と考えたルイは、真っ赤にした顔をすぐに真っ青に変えた。
「あ、あの、歩けます!」
「……とは言っても、もう部屋につきましたけど」
目の前にアイラが走ってきて、扉を開ける。確かにここは自分が世話になっているいつもの部屋で、呆然としている間に横抱きにされたまま部屋のふかふかの整えられたベッドに下ろされ、ルイは小さくお礼を述べた。
「さってと、姫さんも無事に戻った事だし、あの倒れてた女二人の尋問でもしてくるかね。お前の隊の奴が捕まえてあるんだろ?」
「捕まえ……部下に保護させてます。恐らく彼女達は操られてただけだと思いますけど」
「話聞かなきゃなんで姫さん狙ったかもわかんねーだろ。大体察しはついたけどな。じゃ、あとよろしく」
「わ、私も少し、……そう、お茶の準備でもして参りますわ。ルイ様、カイト様にちゃんと、何があったかご報告して下さいね」
いったい何が何なのか、わけがわからずルイが「え?」と声を上げた時には、アイラとライトはさっさと部屋を出て行ってしまう。
沈黙。部屋に残されたのは、自分とカイトだけだ。……そう思ったルイは、急に心臓が激しく主張しだしたのに気がついて、息を詰めた。
「ルイさん」
「は、はい」
「何が、ありました?」
優しい声。ベッドに座るルイに視線の高さを合わせ、床に膝をついて顔を覗き込むカイトの顔は、酷く悲しげに見えた。
「ご、ごめんなさい。店を出て、カイトさんの傍に行こうと思ったら急に後ろから押さえられて……その」
ルイは口ごもった。自分が連れて行かれた理由はわかっている。だけど、それを言っては……いけない気がしたから。
「何をされました」
「引きずられて、途中でひっくり返って転んだだけです。何かされたってわけじゃ」
カイトの表情がいつもの優しいものとは違う気がして、ルイは緊張で言葉を詰まらせる。優しいカイト。でも、目に怒りが揺らいで見える。
「では、何を言われていたんです?」
「……わ、わかりません。緊張してたから」
はぁ、とカイトがため息をついて、ルイはびくりと肩を震わせた。恐る恐るカイトの顔を見れば、視線が絡まる。
「……気を、失う前の事は覚えていますか」
「え? 覚えてるのは……えっと、男の人に連れて行かれて、女の人二人に怒られて、どうしようって思ってたら……た、ぶんそこから意識ない、です」
「男? 男がいたんですか? おかしいですね、あの場には……ああ、でも男に、……何もされていないんですね? よかった」
少し焦ったように早口になったカイトは、急に腕を伸ばしてルイを抱き寄せる。ふわりといい匂いがして、ルイは驚いて身体を硬直させた。
「か、カイトさん。離し……」
「あなたが私を苦手としているのは、わかっています。すみません、少しだけ」
強く抱き寄せられて、ルイは心臓の音の煩さに目を強く閉じる。耳に、カイトの吐息が触れる。ぞくりとして、でもそれは恐怖ではなくて。
「あなたに何かあったら、私は自分を一生許せません。無事でよかった」
声が、微かに震えているような気がした。抱きしめる腕の強さに、ルイはゆっくり目を開く。
自分をこれ程大切に、優しく抱きしめてくれた人は、今までいなかった。
緊張して煩いくらい騒いでいた心臓が、ゆっくりと落ち着きを取り戻して行く。
温もりを感じながら、落ち着きを取り戻し身体の力を抜いたルイは、少しの後、眉を顰めた。
感じるのは、違和感。彼女がいるカイトが、なぜ護衛の対象とは言っても自分にこのような態度を取れるのか。
好意を持っていてもそうでなくても、彼女の立場を考えればこうして抱きしめたりはしないだろう。カイトなら。そんな不誠実な人ではない。
――見たんだよ、あたし。二週間くらい前にあんたがカイト様と手繋いで服買ってるトコ。
――カイト様が、街で少女と手を繋いで仲良くお買い物を楽しんでおられた。そんな噂で持ちきりですのよ。
先ほどの少女に言われた言葉を急に思い出して、ふとルイはアイラの言葉を重ねた。もしかして、まさか。
そこで漸く、どっと緊張が解けたかのようにルイは力が抜けた。
酷く怖い思いをして、恐ろしく緊張していたんだ。久しぶりに……そう思った直後、ぽたりと雫が零れ落ち、カイトの軍服に染み込むのを見た。
(……なみ、だ?)
まさかと思っても、堰を切ったようにぼろぼろと零れる涙にルイ自身が驚いている間に、ルイの動揺を感じたカイトがゆっくりとその腕を解いて、その涙を見た瞬間に慌てる。
「す、すみません、ルイさん、泣かな……」
「違う、違うんです。嫌なんじゃなくて。あの」
すぐに背に回されたカイトの腕が緩む。少しずつ失われる温もりに、まるで縋るようにカイトの腕を掴み止めるルイに、今度はカイトが何故と疑問に首を傾げる。
「あの、カイトさんって彼女いるんじゃ、ないんですか」
「……え? 彼女って、……は? 恋人、の事ですか?」
「その、そういう噂があるって、聞いたんです。だから、その」
「……それで、その彼女に悪いから、と距離を置こうとしたり、しました?」
「だっていくら仕事でも、恋人だったら、他の女の人の護衛とか、嫌だと思ったんです。だけど」
「ああ、そういう事でしたか。……いませんよ。その噂がどういったものかわかりませんが、それなら立候補したりしません。あなたの護衛は、私が自ら志願して得た大切な役目です」
「や、やっぱり違ったんだ……」
自分の勘違いだった。そう思って、今までの態度を考えて、その時のカイトの表情を思い出してしまったルイは申し訳なくて俯いた。
自分を守ろうとしてくれていたのに、何て態度だったんだ。そう考えながら俯いたままのルイを見ながら、カイトが声を掛ける。
「もう、大丈夫ですから」
言いながらカイトがルイの握り締められた右手に触れる。重ねられた手が優しく、そっと強く握り込んだ手を開き、カイトの手にころりと小さな石が落ちた。
「あ」
「ほら、手。力を入れすぎて赤くなってるじゃないですか」
「わ、私、また。ごめんなさい」
「いいえ。……少しだけでしたけど、買い物楽しめましたか?」
「楽しかった、です。ありがとうございました」
顔を赤くして、涙目のままの少女がそこで、ふわりと、初めて柔らかく微笑んだ。
一瞬驚いて、心臓がその鼓動を止めたのでは、と思ったカイトは、一つ大きく息を吸って、同じように微笑んで、まだ涙の伝うルイの頬にゆっくりと手を伸ばす。
「誤解が解けたのでしたら、あなたに触れても構いませんか」
「え? あの、いろいろすみませんでした」
(……意味は、伝わっていないようですね)
本当に母の預言通りに神子が現れたとしたならば。
フォルストレの名にかけて、この町の、世界の為に自分が護りたい。
神子なのだから、自分が護らねば。そう思っていただけの筈の感情が、変化していたのだと今気づく。
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