たった、ひとこと

モクジ

  第四章・清き癒しの町―1  

「カイトさんが、私を傷つける……?」

 高笑いが静まった草原で、ぽそりとルイが呟いた。キュン? と子犬が鼻を鳴らす。
 はっとして周囲の騎士達がルイ、そしてカイトへと視線を移動させ、そして揺らがせる。
 カイトの表情は俯いていて、騎士達にはわからない。しかし、ルイはきょとんとしたまま周囲を見渡し、そしてカイトの腕の中からカイトを見上げて、その表情を見た。

 気まずげに、揺れる瞳。

「カイト、さん?」
「私は……私はあなたを」
 揺れる瞳に、ルイは目を見開いた。
 そして。
「……カイトさんは私を傷つけたりしません」
 突然、ルイはそういって前を見た。
 はっきりと口にし、そして凛とした大きな声で、それは周囲の騎士達への言葉のようで、自分に言い聞かせているようで、カイトに伝えているようでもあって。
「ルイ様……」
 アイラとデュオが、ルイを見つめる。その表情は複雑そうで、ルイは『何かあるのだ』と確信した。しかし、ルイは言葉を繰り返す。
「カイトさんは、私を傷つけたりなんてしない。行きましょう?」

 ルイの言葉で出発を始めた一行は、静かに水の町アクアル結界内へと到着した。
 水の町の長のいる場所へは、二日かからないらしく、ルイはぼんやりと六花を抱きながらもう少しなのだと周囲の様子を見ていた。
 地の町とは打って変わって川、そして湖が増え、植物と水の緑と青の色合いがルイの心を落ち着かせる。
「ルイさん」
 ぽそりと上から降ってきた小さな声に、ルイは景色から視線を外して上を見上げた。
「カイトさん、あの」
「今夜時間、貰えますか? あなたに話したいことが……」
「それは、さっきのと関係ありますか?」
 ルイは見上げた状態で、覗き込むカイトの視線をじっと見つめた。
「私、信じてます。カイトさんが私を……その、えっと。好きだって、言ってくれたの」
 ルイは視線をまた下げて、言いにくそうに俯いた後小さくそういった。耳が赤くなっていて、カイトはルイの発言に驚いて目を見張る。
「何かあるんでも、カイトさんが私を好きって言ってくれたのに嘘がないなら……それは私にとってすごく嬉しい言葉だったから、話してくれるのならいつまでも待ちます。えっと、その、なんていうか」
「好き、という気持ちに偽りはありません。……好き。好きだ。だけど俺は君に言っていない事がある」
「私、好きってよくわからない。だけど、カイトさんに好きって言われたのは凄く嬉しかったと思うんです。それにその……カイトさんの傍にいるの、とても嬉しいから」
 ルイの精一杯の好きという気持ちを、一生懸命伝えるルイは俯いたまま小さな声で言い続ける。
「傷つくって、私がカイトさんを信頼していないと、傷つきませんよね。私、きっとカイトさんが大切なんです。だから、傷つく事があるかもって思うと、少し怖い、だけど」
「……、」
 カイトは、そっとルイの身体に片腕を回し、抱き寄せた。ルイは大人しくカイトの胸に身体を預ける。
「だけど、それを乗り越えてでも……カイトさんを信じたいと、思ってるんです」
 それはルイにとって大きな変化だった。
 諦め続けていたルイは、もちろん何の期待もしていなかった。もし誰かに裏切られようと、初めから何も未来を欲していなければショックも少ないから。だから、未来に何があるか、危惧しようと思わない。
 けれど、確かに諦めなれないものが今はあるから。欲しいものがあるから、ルイは敵の言葉を受け入れながらも、諦める事をやめた。

 いつの間にか、少しだけ騎士達は離れて歩を進めていた。声は聞こえていなかっただろうが、気を利かせたのだろう、デュオがちらりとカイトを見やる。

「私、カイトさんの傍にいたいです」
「俺は、必ず君を守るよ。ルイ、大切にするから……どうか、お願い。信じていて」

 傷つくのが怖いから……全てを諦める。それではいけないと漸くルイが頷いた瞬間。

 カイトの腕の中で、ルイはふわりと、それは嬉しそうに笑みを浮かべてカイトを見上げた。



「お部屋はどうされますか、隊長」
「神子と同室にしてくれないか?」

 そんなやり取りが聞こえて、ルイはかっと顔を赤く染める。
「まぁ、ルイ様、ルイ様とうとう……っ」
 同時に、アイラがきらきらとした笑みを浮かべる。
 先ほどのカイトとのやりとりを、しどろもどろながらルイはアイラに説明したのだ。
 恋、愛はわからない。それでもカイトが大切なのだとルイは素直に受け止めて。
 ぎゅっと手を握ってくるアイラに、ルイはふにゃりと、頬を染めて可愛らしい笑みを浮かべた。その瞬間、アイラの目に涙が浮かぶ。
「その、笑顔を待っておりましたの……っ!」
「わっ、アイラさんっ」
 ぎゅっと抱きしめられて、ルイは顔を赤くしたまま慌ててアイラの抱擁を受け止める。
 ワン、と間に挟まれて一声吠えた六花をルイは静かに横に下ろし、おろおろと彷徨った手は、静かに控えめにアイラの背に触れて落ち着いた。
「可愛らしいですわ、ルイ様! これならカイト様も一発でやられちゃいますわっどうしましょう、私、友人として嬉しいやら寂しいやらっ」
「あ、アイラさん落ち着いて」
「で、でもでもまだ神子様は忙しい身。ああ、カイト様に避妊だけはお願いしてくださいませね、いえ、カイト様は承知の上だと思いますけれどもっ」
「は、ひ、ひにっ」
 話が飛びすぎだ、とルイは言われた言葉にびっくりして立ち上がった。
 ぱっと手を離したアイラが、何事ですの? といわんばかりに涙を溜めた大きな目をぱちぱちと瞬きする。
「わ、わわ、私そんなんじゃ……っ」
「え? でも恋人になられたのでしょう?」
「わ、わからな……っそうなのかな……っ」
「でしたらすぐではなくてもいずれ……っ、ルイ様、大丈夫ですわ。カイト様にお任せして……」
「ま、待ってアイラさん、ついていけない!」
「いーえついてきていただきますわ、ルイ様、大切な事ですのっ! これも私のお役目としてしっかりと勤めさせていただきますわ」
 にや、とアイラが笑う。
 ひっと、ルイは息を飲んで。
「ルイ、部屋を取ったから今日はもう休……っ」
「ひゃわっ!?」
 そっと伸びたカイトの手がルイの肩に触れた瞬間、ルイが奇声を上げて飛び上がる。
 顔はみるみるうちに赤くなって、瞳にはじわりと涙が溜まって。
「わ、わたし今日はアイラさんと同じ部屋で……っ」
「え、ルイさん?」
「まぁルイ様、大丈夫です、何も怖くありませんわ」
「……アイラ、ルイに、何を言いました?」
「る、るいって、カイトさんあの……っ」
「ああ、そんな可愛い顔をしないで。このままどこかに閉じ込めてしまいたくなる」
「だーおまえらとっとと部屋行け! こいつは預かるから」
 デュオにひょいとアイラの手が引かれ、アイラに縋ろうとしたルイがバランスを崩してカイトの腕の中へ。デュオの腕の中には六花がいて、預かるとは子犬の事だろう。
「今日は同室、です。話したい事もありますし」
「っっあ、アイラさんんっ」

 初めて聞くルイの元気な笑みや話し声に、カイトの聞いている方が赤くなりそうな熱い台詞。
 ぽかんと見つめるラトナ達騎士の横で、さっと横抱きにされたルイはもがく暇もなくあてがわれた部屋へ。


「ひ、ひどいです、わ、私その……っ」
「無理矢理、君の望まないことをしたりしないよ?」
「でもあの、だって、アイラさんが……っ」
「ルイ、君は俺のものだ。好き。絶対に守ってみせるから、ねぇ、今は俺の事だけ考えて」
「ひぁっ」
 ぐっと抱きしめられて、ルイの頬、額と次々にカイトは唇を落とす。
「さっきのは……いいんだよね、俺の傍にいてくれると思って」
 微かに迷った後こくんと頷いた頭にカイトは手を伸ばして後頭部を支え、反対の手で顎をそっと持ち上げるとカイトはゆっくりルイに唇を重ねた。
「ふぁ、待って、カイトさ……」
「待てない。でも、本当に嫌ならすぐやめるから。今はまだはっきり好きってわからなくても、わからせてあげるから。キスが嫌なら、ほら、首を振って?」
「ん、んん、ふっ……」
 唇を重ねながら涙目でルイはカイトを見つめ、ずるいと呟きながらその唇を受け入れる。
 柔らかいカイトの唇が触れるキスは心地よかった。
 首を振ろうとしないルイに満足気にカイトは笑みを浮かべて、その下唇を軽く啄ばむと、そのままルイをベッドにそっと下ろす。

 寝転んだルイにゆっくりとカイトが覆いかぶさって、びくりとルイの肩が震えた。

「そんなに怯えないで。怖がるようなことをしないから。でも、あまり可愛いしぐさをされると俺も辛いんだ」
 は、と短く息を吐いて、少し掠れた声で耳元で囁かれて、ルイは感じたことがない熱に浮かされて瞳に涙が自然と溜まってしまう。
 ばくばくと煩い心臓と、緊張でルイはぎゅっと目を瞑る。と、また重なる唇。
「俺は君を傷つけたりしない」
「は、しんじてま、す」
「可能性があるとすれば……俺がまだ話していない事を君がどう捉えるか」
 触れるだけのキスの合間にカイトが言葉を綴る。
「俺は……ルイ、この国の王位継承者だ。母が王の妹、そして王には男子がいない」
「おう、い」
 突然の告白に、ルイはきょとんとカイトを見つめる。
「でも俺はあまり興味がないんだ。俺の夢はずっと、いつか現れる神子の護衛を引き受ける事だったから……兄さんがいるから王女と婚約した。限りなく現時点では兄さん、もしくは兄さん達に男の子が恵まれればそちらが王位につくだろう。ただ……」
「ただ?」
「神子は常に今まで王の血族だった。でも今回は……違う」
「……え? 私?」
 突然自分の話題に触れられて、ルイは戸惑った視線をカイトに送る。カイトは唇を一旦離し座ると、ルイの身体を抱きかかえ膝に座らせた。
「悔しいけれど今の俺よりライト兄さんの方が守護の力が強い。王位に興味があるわけではないけれどそれは認める。ただ、俺が神子に……好意を持ってるっていうのは貴族院に周知の事実だったんだ」
「えっ」
「わかりやすかった、らしい。デュオに言われたよ。それで……貴族院は、次の神子こそ王族から……つまり今の神子を王妃にと望んでいるから」
「ええっ?」
 話の大きさに、ルイは身を乗り出して声を上げた。さっきまで真っ赤だった顔は少し青ざめる。
「ごめんね、これ以上負担をかけたくなかったから言いたくなかったんだけど……つまり、俺が王位狙いで君に近づいたと思わせたかったんじゃないかな、闇の民は」
「そんな」
「違う、よ? 王女と兄さんが婚約した時点で、王位はほぼ兄さんが継ぐので決定しているんだ。神子が神子を生むわけではないんだから、君が王族にならなくても大丈夫なんだから」
「混乱、してきました。カイトさん」
「ごめんね。とにかく俺は……そんな目的で君を好きだと言ったんじゃない」
「それは、その。疑ってなんか……っ」
 カイトに覗き込まれて、また唇が重なって、ルイはどきどきと煩い胸を押さえる。
「可愛い。あまり誘わないで。そんな目はずるい」
「誘ってない……っひぁ!」
 ぺろりと耳を舐められてルイはぐっとカイトの腕を掴んで。
「黙っていてごめん。でも……本当に好きだから」
「んんっ、変わりません。信じてます」
 ルイの一つ一つのしぐさに、カイトは堪えようのない熱を身体の内に感じた。
 このまま唇を貪ってしまいたい衝動を、必死に堪える。
「さぁ、横になって? 大丈夫。疲れた身体を休めないと。昨日から続けて魔力を使っていたから、疲れているでしょう?」
「カイトさん、も……一緒に休みます?」

 ああ、なんでこんなに……と、カイトが唇を噛んだのは仕方ない事だ。
モクジ
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